HSPの人生に安らぎを

子供の頃から、どうにかちゃんとした人になりたくて空気を読みつつ生きてきたら鬱病になりました。夫も鬱病で退職し私一人の時間が激減。私のSOSは夫には届かず息が詰まる生活を強いられている54歳の秋、何かに導かれるようにHSPを知りました。長い間自分の頭がおかしいと思っていたので少し救われたような気がしましたが、それを知ったところで状況は何も変わりません。どういうことが辛くて苦しいのかを記録することで吐き出し、どうしたら楽になるのかを考えていきたいと思います。

こう見えて音楽が好きなんです

父が音楽好きだったので家にはレコードやカセットテープがたくさんありました。
クラシック、童謡、ムード歌謡、ラテン音楽、外国のポピュラーソング、グループサウンズなどなど。
父はそれらを自由に触らせてくれました。
その中から気に入った曲をかけ、妹と一緒に歌ったり本を読みながら聴いたりしていました。

近所のショッピングセンター内にカワイ音楽教室が入っていました。
通りかかるたびにガラス張りの教室の中でピアノを弾いているのが見えて「私もやりたい!」と親に頼みました。
10歳の時でした。
何故か妹も一緒に通うことになりました。
週1回のレッスンで月謝は5,000円×2人分。
ピアノの善し悪しなどわからないので普通の黒いアップライトで問題なかったのに、エエかっこしいの父はインテリアピアノとか家具調ピアノと言われる茶色い木目調のモデルを買ってくれました。
父が毎晩のように呑み歩いていたので、いつも「金がない」と不機嫌だった母が「パパがあんな高いのにしたんよ」と苦々しい口調で言っていた記憶があります。

レッスンを始めてみると練習曲ばかりで面白くなかったです。
隣の部屋のエレクトーン教室からは知っている曲(ポピュラーミュージック)が聞こえてきて「あっちの方が良かったな」と思いましたが、ピアノに大金をかけてくれたのを知っていたので口が裂けても言えません。
でもピアノは個人レッスン、エレクトーンはグループレッスンだったので「ピアノで良かった」と思い直しました。
学校にはもっと小さい頃からピアノを習っている子がいましたが、ほぼヤマハ音楽教室に通っていました。
「発表会や昇級テストが頻繁にあって厳しい」と聞いたので「カワイで良かった」とホッとしました。
カワイにもグレードテストというものがありました。
先生から「グレードテストやりますよ」と何度か聞いたことはありましたが結局テストも発表会も一度もありませんでした。
こんな感じで自分がやりたいと言って始めたピアノも、勉強や運動と同じく「頑張って上手くなろう」という気は全くありませんでした。

そんな私でも合唱の学校代表には立候補しました。
歌は好きだし、エレクトーン教室の数倍の人数だから目立たないし、放課後練習で帰宅を遅らせることができるし、合唱コンクールは平日開催なので、その日の授業はほぼ受けず遠征するからです。
合唱メンバーになるには毎年オーディション的なものがありました。
みんなが見ている中、ひとりひとり順番に前に出て課題曲を歌うのです。
とても緊張しましたが、上手い下手は関係なく音程を外さなければ合格になりました。
私も、めでたく4年生から6年生の3回ともコンクールに出場できました。
結果は全く憶えていません。
入賞しようがしまいが私には関係ない、というか私には結果は重要ではなかったからです。

小学校も高学年になるとクラスメイトたちはTVドラマを観るようになり、学校でもその話しで盛り上がっていました。
私はというと、子供向けのお笑いバラエティ番組やアニメなどを観ていたのでクラスメイトたちの話しはわからず「みんな大人っぽいなぁ」と思っていました。
小学校には「朝の会」ってのがありますよね。
1時限目の授業の前に朝の挨拶をして、今日の予定、係からの連絡、先生からの話しなどするヤツです。
私のクラスではその中に「朝の歌」という時間が設けられていました。
係の生徒が毎月歌を決めて模造紙に歌詞を書いてくれます。
「朝の歌」の時間になると、その模造紙がバッと広げられ、それを見ながらみんなで歌うのです。

ある時の「朝の歌」は「俺たちの旅」でした。
聞けばTVドラマの主題歌とのこと。
係の生徒の合図でみんなが歌い始めました。
♪夢の~坂道は~木の葉~模様の石~だた~み、まばゆく白い~な~が~い~壁~♪
( ºΔº )「なんや、この歌は!」
「朝の歌」は伴奏なしのアカペラです。
♪足跡も~影も~残~さ~ないで~、たど~りつけない山~の中へ~♪
(;´Д`)ゲロゲロ「ううっ!気持ち悪い!」
(注:「俺たちの旅」という歌が気持ち悪いのではありません)
ダラダラユラユラした音の連続攻撃は1ヶ月続き、私はこの歌が嫌いになりました。


のちのち中村雅俊さんの「俺たちの旅」を聴きました。
ドラマチックな素敵な歌でした。