HSPの人生に安らぎを

子供の頃から、どうにかちゃんとした人になりたくて空気を読みつつ生きてきたら鬱病になりました。夫も鬱病で退職し私一人の時間が激減。私のSOSは夫には届かず息が詰まる生活を強いられている54歳の秋、何かに導かれるようにHSPを知りました。長い間自分の頭がおかしいと思っていたので少し救われたような気がしましたが、それを知ったところで状況は何も変わりません。どういうことが辛くて苦しいのかを記録することで吐き出し、どうしたら楽になるのかを考えていきたいと思います。

「私が悪いんだから」という理解

母が言うには、私が幼児の頃は「物怖じしないお喋りで言うことを聞かない野生児」だったらしいです。
私の野生児エピソードは何度か聞かされたことがあります。

そんな私が幼稚園に行き始め、それまでと真逆の引っ込み思案になりました。
ひとつ未だに記憶に残っていることがあります。
女の子3~4人の友達の前で、私は得意のお遊戯を披露していました。
友達は口々に「花実ちゃん上手~♪」などと言ってくれて、私がすっかりその気になっていたところに、ひとりの体の大きい男の子がやってきて私をけなしたのです。
その男の子の言葉までは憶えてないのですが、これが生まれて初めて「恥ずかしい」という感情を自覚した瞬間でした。私は母方の家族にとって初孫だったので可愛がられており、けなされた経験がなかったのだと思います。
幼稚園という初の社会生活との関わりで、簡単に鼻をへし折られてしまいました。
それからは「物怖じしないお喋りで言うことを聞かない野生児」から「物怖じしないお喋り」の部分が削除され「言うことを聞かない野生児」になりました。

小学校に入学してからも私はよく怒られました。
子供なので悪気があってやっているわけではなくても、大人から見るとやってはいけないことなので怒られる。
これを躾(しつけ)と言います。
「身」に「美」素晴らしい漢字です。
賢い子供はそこで「あ~、これをやったらいけないんだな」と学習するのですが、私にはそれができませんでした。
もちろん友達や妹弟を叩いたり火遊びをしたりなど危険なことはやりません。
怒られた理由は主に親の言いつけを守らなかったということだったと思います。

母にはよく物差しで叩かれていたのを憶えています。
父は仕事終わりに夜の街にくり出すことが多く、酔っ払って朝帰りすることも少なくありませんでした。
夫婦喧嘩は日常のこと、父が遊びに出かけると母の機嫌が悪くなりました。
紛れもなく八つ当たりです。
でもその頃は自分が悪いから叩かれるんだと思っていました。
怒られた時は反省しますが、すぐまた同じことをしてしまう私。

例えば「(夕方)5時のチャイムが鳴ったら帰宅しなさい」という約束を守れない。
怒られてもまたやってしまう。
ある日5時を過ぎて帰宅すると玄関ドアの鍵がかかっていました。
私は「また約束を破ったから家に入れてもらえないんだ」と、仕方なく近くの公園に行って遊んでいると鬼の形相の母が探しに来たことを憶えています。
母としては、私が玄関ドアの前で「ごめんなさい、明日からは約束を守るから開けて~」などと泣きながら反省すると目論んでのお仕置きのつもりだったのでしょう。
でも私は子供の頃から泣き叫んで許しを乞うことができないのです。
自分でも理解できないのでどうしようもないのですが、私にはそんなところに根拠のないプライドがあるのです。

小学校高学年の反抗期になると、今度は父から怒られることが増えてきました。
脳天に思いっきりゲンコツ。
もしくは、弟が習っていた剣道の竹刀で頭を殴られました。
近所の山の上にある神社までの長い階段を「ウサギ跳びで上がれ」としごかれたこともあります。
父の本棚に「スパルタ教育」という本がありました。
小学生の頃はその意味がわかりませんでしたが、中学生くらいになると「スパルタ教育=厳しい躾」だと思っていました。

スパルタ教育

スパルタ教育


すごい!これ!この本です!
試しにAmazonで検索してみたら出てきましたー!
ビックリですwwwネットってすごい~。
これ石原慎太郎さんが書いてたんですね。
商品説明に【1969年に出版された、石原慎太郎の「スパルタ教育」である。 石原慎太郎は「太陽の季節」「NOと言える日本」「弟」と10年に1回は爆発的ベストセラーを出す作家であるが、「スパルタ教育」もその一つで、出版当時は70万部のベストセラーになった。 しかし「スパルタ教育」は、2012年現在、廃刊のままである。なぜならここで書かれている教育論はあまりにも封建的・男尊女卑的で、現在の風潮から見れば非難を浴びることが必至だからである。 とにかくこの本は、言葉の暴走族・石原慎太郎らしい過激さが詰まっている教育論である。まさに「THE 石原慎太郎」の教育論である】とあります。
父はこれを参考にしていたのでしょうか?

「言葉で言ってもわからんヤツは動物と一緒や。そやけ叩くんや!」と言い、目から火花が出そうな程の力で頭を殴るのです。
今思えば、手を上げられるほどの悪事を働いたわけではなかったと思うのですが、両親に怒られている時は「またやってしまった、私はなんて情けないヤツなんだ」と反省していました。
本当に反省するんです、それなのにまたやってしまう。
両親に怒られないようにするには、お手伝いをしたり勉強をして良い成績をとったりすればいいんだろうなぁと思ってはいましたが、それができませんでした。
お手伝いも勉強も嫌いで、特に理数系はやろうとすると頭の中に霧がかかったようになりました。
「なんで私はお手伝いや勉強ができないんだろう?
約束も守れないし、怒られても同じことするし、ダメなヤツだ。私が悪いんだから怒られるんだ」といつも思っていました。

変わり者と思われたくない。
目立ちたくない。
普通の人になりたい。
ちゃんとした大人になりたい。
と、50歳も半ばになった今でもそう思うことがあります。