HSPの人生に安らぎを

子供の頃から、どうにかちゃんとした人になりたくて空気を読みつつ生きてきたら鬱病になりました。夫も鬱病で退職し私一人の時間が激減。私のSOSは夫には届かず息が詰まる生活を強いられている54歳の秋、何かに導かれるようにHSPを知りました。長い間自分の頭がおかしいと思っていたので少し救われたような気がしましたが、それを知ったところで状況は何も変わりません。どういうことが辛くて苦しいのかを記録することで吐き出し、どうしたら楽になるのかを考えていきたいと思います。

ネガティブ思考

劣等感のかたまりだった小学生時代。
何と言ってもまず勉強が嫌い。
全く興味が持てませんでした。
ただ国語の文章読解だけはぶっつけ本番でもできたので、国語だけは平均点くらい取れていました。
でもそれだけです。
作文も苦手だったし音読もみんなの前で声を出さなきゃならない。
読書感想文なんてあらすじを並べて「面白かったです」とか「良かったと思いました」みたいなwww
授業中に手を上げて発言なんて以ての外。
「間違っていてもいいから答えて!」と言う先生もいましたが、答えがわかっていたとしても手を上げて発言するなんて有り得ないことでした。

運動は、できなくもないけど好きではありませんでした。
そもそも試合で勝ち負けを競うのが嫌い。
チーム競技で私が足を引っ張ることになったもんなら吐きそうになるくらい凹みます。
かけっこは、いつもだいたい2位か3位。
悔しい!次は1位になるぞ!なんて思ったこともないです。
水泳は父にしごかれたので平泳ぎだけはできました。
途中で足をつかずに50m泳げるというだけで学校代表に選ばれてしまい、スタート台から飛び込むように言われたのですが怖くて一度もできないまま大会当日。
もうあとがない本番で初めて飛び込んだというwww
結果はもちろん最下位でした。
「そりゃそうでしょうね」という感じで全く悔しくなかったです。

水泳は50m泳げる子が他にいなかっただけで選手にさせられ、更に夏休み中に学校に行って練習しなければいけなかったので本当にイヤでした。
でもソフトボールの代表(補欠)になったのは、まあまあ嬉しかったです。
これも右手でボールを投げる時に同時に右足が出なければ合格www
一度も試合に出ることはなかったけど、放課後の練習を理由に帰宅時間を遅らせたかったからそれで充分でした。
とにかく家にいたくなかったのです。

私は体が小さく、背の順に並ぶといつも前の方でした。
背が低いこともコンプレックスで、背の高い大人びたクラスメイトを羨んでいました。
体が小さいと下の年齢に見られ、大人は私に無邪気さを求めてくるのです。
そんなことは口に出して言われなくてもわかります。
両親(特に母)は私の内気な性格を変えなければならないと言っていました。
知ってる大人に会ったら大きな声で挨拶しなさい。
知能検査は悪くないんだからやればできるはず。
ちゃんと手を上げて発表しなさい、と。

そして6年生の夏休みには妹と一緒にサマーキャンプに行かされることになりました。
お金もかかったでしょうに、私と妹が喜ぶとでも思ったのでしょうか?
それとも強硬手段?
それはサンケイ新聞で全国の小学生対象に募集していたものだったと記憶しています。
妹以外知っている人がいない中での生活は何日間だったか忘れましたが最低最悪地獄でしかありません。
嫌で嫌でたまりませんでした。
キャンプ地は確か韮山だったと思います。
東京のどこかまで両親と一緒に行って、そこから子供だけバスに乗り出発。
自己紹介させられ、グループ分けされ、部屋を割り当てられ、初対面の子たちと遊びをとおし力を合わせて課題に取り組み、成果を発表させられる。

6年生は私を含めて3人の女子だけでした。
2人は親戚同士だったか友人同士だったかで、いつも一緒にいました。
2人とも私の憧れの大人びた体格の持ち主でした。
なので、みんなから見てその2人が6年生の基準になるのです。
小学生の頃は1年違いでも差が出ることがあるので、グループ分け以外に学年分けで行なうこともありました。
アスレチックの遊具で「これは難しいから6年生だけ来て!」と呼ばれて私も行ったのですが、その2人がやるとそこで終わりになりました。
そこに私もいたのに私はいないものとなってしまいました。
「私も6年生です!」なんて声を上げられる私ではありませんし、すごくやりたいわけではないので退散しましたw
「ハキハキと自分の言いたいことを言わないから、こんな嫌な目に遭うんだ」と私はとても傷つきました。

他者との交流、仲間づくり。
様々な人とふれあい、人間関係を作って社会性や協調性を育む。
素晴らしく健全な活動ですね、反吐が出そうです。