HSPの人生に安らぎを

子供の頃から、どうにかちゃんとした人になりたくて空気を読みつつ生きてきたら鬱病になりました。夫も鬱病で退職し私一人の時間が激減。私のSOSは夫には届かず息が詰まる生活を強いられている54歳の秋、何かに導かれるようにHSPを知りました。長い間自分の頭がおかしいと思っていたので少し救われたような気がしましたが、それを知ったところで状況は何も変わりません。どういうことが辛くて苦しいのかを記録することで吐き出し、どうしたら楽になるのかを考えていきたいと思います。

忘れられない2つのストレス

きっかけは忘れましたが、小学5~6年生頃から洋楽を聴くようになりました。
父のレコードにはなかった洋楽ポップス&ロックです。
いちばん好きなのはBayCityRollersでした。
QUEENABBACarpentersオリビア・ニュートン・ジョンスティービー・ワンダー…………
何を歌ってるかサッパリわからないけどカッコイイ!
そんな曲を聴いているクラスメイトがいたかもしれませんが、情報交換をするような私ではなかったので自分ひとりで楽しんでいました。

父がラジカセを持っていたのでラジオから入ったのではないかと考えますが、全く記憶にございませんw
父はレコードなどと同じく、ラジカセも自由に使わせてくれました。
自分の声を録音して聞いてみて「私ってこんな変な声なんだ!嫌だー!」とショックを受けたのはこの頃です。

(ああ~こうして子供の頃のことを思い出して文章にすると、私は父の影響もかなり受けてるんだなぁと認識するわ~)

BayCityRollersが大好きで、少ないお小遣いを貯めてLPレコードやROCK SHOWという雑誌を買ったり、タータンチェックのシャツを買ってもらったりしました。
それからエアチェック
当時「ラジオたんぱ」で「それ行け!ベイシティローラーズ」という番組をやっているのを新聞のラテ欄で発見し、必死で周波数を合わせ毎度毎度すごいノイズの中から聞こえてくる音を一生懸命拾いました。
当時BayCityRollersはすごい人気で、初来日の空港での熱狂的なファンやライブで失神するファンの様子がニュースになっていました。

隣町の市民会館でBayCityRollersのフィルムコンサートをやるということを聞きつけ「ぜったいに行きたい!けど、ママにお願いするのイヤだなぁ」と悩んだことがあります。
「隣町でBayCityRollersのフィルムコンサートがあるんだけど行ってもいい?」と言うだけなのに、私はなかなか言い出せませんでした。
「本来やるべき勉強をしないくせにフィルムコンサートに行きたいなんて虫のいい事は言いにくい」という考えからです。
勉強嫌いで頑張れない劣等感と罪悪感はいつもありました。
悩んでいるうちにどんどん開催日が迫ってくるので追い詰められましたが、母の機嫌の良さそうな時にお願いしてみると意外とあっさりOKをもらえました。

当日はAちゃん、Bちゃんと一緒に行った記憶があります。
会場は私たちよりお姉さまな女性だらけ。
モニターに映し出されたメンバーたちの歌声と演奏の大きな音に感激しました。
お姉さまがたキャーキャー黄色い声をあげています。
コンサートを撮影したフィルムを上映するイベントですよ?
それなのに、ヒートアップしたお姉さまがたが前方のステージ下に押し寄せて行きました。
ニュースで熱狂的なファンの様子は知っていましたが、フィルムにまで向かって走っていくとは!
私は驚いてスーッと冷めてしまいました。

でも、フィルム鑑賞が終わるとプレゼント抽選会があり、ラッキーなことにポスターが当たったのでテンションがまた上がりました。
終了後トイレに行くと、お姉さまがたの視線を感じました。
私がポスターを持っていたからでしょう。
クラスメイトからの視線とは明らかに違う、痛みを感じるものでした。
私のテンションは短時間で上がって下がって上がって結局下がりました。
いつも不機嫌な母にOKをもらうまでのストレス、楽しみにしていたイベントで受けたストレスは、この歳になっても忘れられません。