HSPの人生に安らぎを

子供の頃から、どうにかちゃんとした人になりたくて空気を読みつつ生きてきたら鬱病になりました。夫も鬱病で退職し私一人の時間が激減。私のSOSは夫には届かず息が詰まる生活を強いられている54歳の秋、何かに導かれるようにHSPを知りました。長い間自分の頭がおかしいと思っていたので少し救われたような気がしましたが、それを知ったところで状況は何も変わりません。どういうことが辛くて苦しいのかを記録することで吐き出し、どうしたら楽になるのかを考えていきたいと思います。

敵か味方か

部活中心に高校生活を送っていた私は、放課後や休日にクラスメイトと遊ぶことは殆どありませんでした。
でも、授業でグループになる時や休み時間などで一人ぼっちになることはなく、とりあえず優しい誰かが声をかけてくれました。

いつの頃からかは忘れましたが、土屋太鳳さん似のクラスメイトがよく声をかけてくるようになりました。
目が大きくて可愛らしい太鳳は、身長は私と同じくらい低いのですがバストサイズが大きく、話しを聞いていると自分の容姿に自信があることがわかりました。

太鳳には片思いの人がいて、話題はいつもその人のことでした。
その人、マサヒコさんは太鳳の地元の先輩で「すっごくカッコイイの!」と目をキラキラさせて話していました。
恋する太鳳がマサヒコさんの話しをするのは可愛かったのですが、毎度毎度「マサヒコがね♪」となると、さすがに食傷気味でした。
他のクラスメイトからも「太鳳またマサヒコの話ししてるよ………」という呆れ声も聞こえてきました。

ある日いつものように太鳳が声をかけてきて「マサヒコに告白したの」と、その時のことを話し始めました。
なんと、服を脱いで「抱いて!」と言ったそうで、聞いている私が恥ずかしくなりました。
「コイツは、なんつーことをやってるんだ………」というショックで結末はあやふやですが、抱いてもらえず、彼女にもなれなかったけど、確か大人の対応をしてくれたんだったと思います。
マサヒコさん良い人!笑

その日から私は太鳳を敬遠するようになりました。
マサヒコの話しはもうたくさんでしたし、何より「私は太鳳とは合わない」と思ってしまったからです。
暫くして太鳳は学校を辞めました。
最後に太鳳は「アイドルになろうと思ってる」と言い、自分が使っていた学生カバンを私にくれました。
持ち手部分を長くして黒いビニールテープが巻かれており、マチ部分の芯を抜いてペッタンコにした改造カバンでした。
蓋を開けると内側に「一代目〇〇」「二代目〇〇」と書いてありました。
〇〇は名前でローマ字だったかイニシャルだったか………笑
そのカバンの持ち主の名前で、二代目は太鳳でした。
「三代目は花実だよ」と。
それから何年後かに「太鳳が結婚したらしい」という噂を聞きました。


高校の3年間で3回だけしかなかったのですが、クラスメイトと遊びに行ったことがありました。
初めて遊んだのは、同じ中学校卒業の下間花梨さん似のよく笑うおとなしい子と、もう一人はクラスの秀才スポーツもできてハキハキ話す田中律子さん似の子と3人でショッピングセンターに行った時です。
最寄り駅のショッピングセンターではなく、少し離れた駅近くのショッピングセンターに行くということで楽しみにしていました。

ところが私、何も憶えていないんです。
何故かと言うと、ショッピングではなく万引きだったからです。
本当に驚きました。
アクセサリー売り場でネックレスを見ていると、花梨と律子が商品をバッグに入れ始めたのです。
驚いて「ちょっと!何やってんの?」と言うと「花実もやりな!早く!」と二人に言われ、言われるがまま私も目の前に並べられていたロケットペンダントをバッグに入れてしまいました。

学校でも電車の中でも、二人は一言も万引きの話しはしていませんでした。
二人の間では話しができていたんですね。
いかにも万引きしそうな不良とは真逆のタイプの二人だっただけに、私はショックを受けました。
その日、他の売り場に行ったり食事をしたりしたはずですが、万引きのインパクトが強すぎて、それ以外のことはまるで憶えていません。
お喋りもたくさんしたはずですが、帰りの電車の中でも二人は一言も万引きの話しはしませんでした。
でも私はやってしまったんです。
二人を止めることはできなくても、私はお金を払って欲しい物を買うことはできたんです。
それなのにやってしまった………家に帰って、そのロケットペンダントは捨てました。
次に学校で会った時も、その後もずっと二人は一言も万引きの話しはしませんでした。
あんなことをしたのに、時間が経つにつれて「現実じゃなくて悪夢だったのかな………」と思うほど何もありませんでした。
二人と遊びに行ったのはそれっきりです。


今、書いていて思い出したのですが最寄り駅のショッピングセンターで小学校時代の同級生に会ったことがありました。
山田邦子さん似の彼女は小学生の頃から背が高く、子供ながらに少し近寄り難い、というか関わらない方がいいと感じていました。
なので中学校でも関わり合いは無く、ぼんやりですが山田さんは転校していたような………してないような………?
まぁ、そのくらい無関係な関係だったのです。

ある日の学校帰り、バスの時間待ちのために一人でウインドーショッピングをしていました。
婦人服売り場にいると、私とは違う高校の制服の子が来ました。
「あ、山田さん………」
山田さんも私のことがわかったようで笑顔で近づいてきました。
山田さんは相変わらずスラッと背が高く、私と同じく一人で来ていました。
お互いの制服を見て「〇〇高なんだね」とお互い言い合うくらいの軽い会話をしました。

その時ふと何かを感じ、辺りを見回すと複数人の店員さんが遠巻きにコチラを見ていました。
すぐに「万引きだ………」と感じ、仲間だと思われたくないので「じゃあね」と山田さんから離れました。
山田さんはそのまま売り場の中に入って行き、店員さん達の視線もそのまま山田さんに向けられていたのを見て、私は売り場から出て行きました。


クラスメイトではなかったのですが、同じ中学校卒業で同じ部活だった柏木由紀さん似のお喋りな友人に「お見舞いに行くから一緒についてきてほしい」と頼まれたことがありました。
誰のお見舞いかと聞くと、中学校時代の同級生の男子Yくんで「バイクで事故って意識がないんだって」と。
私はYくんと同じクラスになったこともなく、話しをしたこともなかったので「由紀ってYくんと仲良しだったのか………」と思い、一緒に病院に行くことにしました。

私は完全に由紀の付き添いのつもりでいたので、病室に入ってもYくんのお母さんに挨拶しただけでベッドの近くにも行かず、ドアの前に立っていました。
そう長い時間でもなかったのですが、由紀はYくんのお母さんと話しをしていました。
そしてバッグからチラシのような物を取り出し、自分が入信している宗教の話しを始めました。
私は部外者でしたが「布教活動のために来たのか!」と相当驚きました。
まず同級生の友人が大人と対等に話しができるということ自体が驚きでした。
私が話しをする大人は両親と学校の先生くらいしかいなかったし、それも自分から積極的に話すことはなかったからです。
由紀の家族が手かざしの宗教をやっているのは知っていましたが、こんな状況の所に行って直接説明するのを目の当たりにすると、違和感しかありませんでした。
その後Yくんのお母さんが入信したのか、興味がないので聞きもしませんでしたが、確かYくんは亡くなったと聞いた気がします。

高校生になってから、由紀は学校の友人にも宗教の話しをするようになりました。
私も何度か誘われて、一度だけ道場という所に連れていかれましたが、やっぱり気が進まなかったので中に入らずに帰りました。


特に私から働きかけなくても、私の周りでいろいろなことが起きました。
それは当たり前ですよね、みんなそれぞれの人生を進んでいるのですから、少なからず私にも影響が及びました。
高校生になって出会う人の数が増えたり、行動範囲が広がると、私の思いもよらないことが起き刺激されました。
私は自分の身を守るために「この人は敵か味方か?」と考える癖がついていきました。