HSPの人生に安らぎを

子供の頃から、どうにかちゃんとした人になりたくて空気を読みつつ生きてきたら鬱病になりました。夫も鬱病で退職し私一人の時間が激減。私のSOSは夫には届かず息が詰まる生活を強いられている54歳の秋、何かに導かれるようにHSPを知りました。長い間自分の頭がおかしいと思っていたので少し救われたような気がしましたが、それを知ったところで状況は何も変わりません。どういうことが辛くて苦しいのかを記録することで吐き出し、どうしたら楽になるのかを考えていきたいと思います。

小学生の時の友達

私には友達がいません。
まぁこう言うと「どこからが友達ですか?」って話しになりますよね。
人それぞれ友達の定義とか境界線は違うのかもしれません。
私の場合は「心を許せる人」です。
そんな人は後にも先にもいないんじゃないかと思っています。

小学生の頃はクラスメイトを友達だと思っていました。
勉強も運動もダメな私はクラスではできる限り気配を消していましたが、それでも注目される瞬間はありました。
些細なことです。
体育の授業で跳び箱の練習をする時とか日直で朝の会の司会をする時とか髪の毛を切った翌日とか………避けられません。
当時本当に辛かったですが学校に行かないという選択肢はありません、家はもっとイヤだったので。
自分の意見をハキハキと言ったり先生方(大人)と対等に話しができるクラスメイトたちを「すごいなぁ」と思っていました。

放課後に遊ぶ人を友達だと思っていました。
家が近所で一緒に登下校していた同じ歳の女の子が2人いました。
このAちゃんとBちゃんには中学生になっても、よく遊んでもらいました。
私は彼女たちの前では自分を大きく見せようとしました。
「花実ちゃんすごいね!」と思わせたかったのです。
嘘もつきました。
「私が小さかった頃、ばぁちゃん家の大きい犬の背中に乗って遊んだんだよ」とかwww(注:ばぁちゃんは犬など飼ってません)
2人とも「へぇ~そうなんだ~」と言ってくれていましたが、嘘だとバレバレだったと思います。

3人組なので、ひとりを仲間はずれにすることもありました。
言い出しっぺはAちゃん。
私に「Bちゃんのこと好き?」と持ちかけてきます。
そして、その日から一緒にBちゃんを無視するのです。
Bちゃんの気持ちも考えずに残酷なことをしていました。
私が無視される場合は同じように「花実ちゃんのこと好き?」と2人が話していたのでしょう。
ひとりで登下校するのは辛いものでした。
そんな辛い思いをしているのにAちゃんから「Bちゃんのこと好き?」と持ちかけられると、また一緒になって無視するのです。
自分がやっていたくせに何故かよくわかりませんが、時間が経てばいつの間にか元の3人に戻っていました。
どういうわけか、この仲間はずれプレイは何度も繰り返されました。
やられっぱなしではありません。
一度Aちゃんを仲間はずれにしたことがあります。
これは私が言い出しっぺだったと思います。
記憶が定かではありませんが中学生の時だったかも。
何をやってたんでしょうかw アホらしい。
その後3人別々の高校に入学してからは徐々に会わなくなっていきました。

失礼を承知で書きます。
私のブログなんか見ないでしょうから大丈夫ですよねw
長い間つるんでいましたが実を言うと彼女たちがどんな子だったか憶えていません。
本っっっ当に最低ですね。
私と一緒にいたくらいなので目立たない方の子たちでしたが、ただ私は3人の中で優位に立ちたかったのです。
勉強も運動もダメで学校では気配を消していましたが、彼女たちの前では嘘をついてまで自分を大きく見せたかった………
劣等感のかたまりが仮面をかぶっている姿………2人はそれをわかっていても一緒にいてくれていたのかもしれません。
なので、彼女たちを「友達」と呼んでしまっていいのかしら?と悩みます。
いろいろ憶えてないだけに恥ずかしいし、たくさん傷つけたのではないかと今更ながら反省しています。