HSPの人生に安らぎを

子供の頃から、どうにかちゃんとした人になりたくて空気を読みつつ生きてきたら鬱病になりました。夫も鬱病で退職し私一人の時間が激減。私のSOSは夫には届かず息が詰まる生活を強いられている54歳の秋、何かに導かれるようにHSPを知りました。長い間自分の頭がおかしいと思っていたので少し救われたような気がしましたが、それを知ったところで状況は何も変わりません。どういうことが辛くて苦しいのかを記録することで吐き出し、どうしたら楽になるのかを考えていきたいと思います。

母のこと

私は3姉弟の長女、私の下に妹と弟がいます。
弟が生まれたのは私が3歳5ヶ月の頃なので、私たちは年子3姉弟です。
3歳で長姉になった私ですが、姉という自覚があるわけがなく、当然その頃の記憶などありません。

私の両親は喧嘩ばかりしていました。
ふたりが言い争いを始めると胸がギューッと苦しくなり「とにかく早く喧嘩をやめてほしい」と思うのですが、何もできずただ涙するばかりでした。

ちょっとここで目からウロコ話しを。
ある事で旦那の両親が言い争いを始めました。
私の両親のそれとは比べ物にならないくらい小規模wでしたが、私は胸がギューッと苦しくなり「早く引き離さなくては!」と傍にいた旦那と旦那の妹を見ると、2人共何も気にしてない様子でスマホをいじっていました。
私「ねぇねぇ!何だかもめてるよ!早く食事に行こうって言ったほうがいいんじゃない?」
旦那と旦那の妹「え?なんで?」
私、目からウロコがボロボロボロボローっ!
『両親の喧嘩はスルーしてもOKなんだよ』ということを学んだ。

話し戻ります。
破天荒な夫に3人の子供。
母はいつも不機嫌でした。
母は私に、父がどんなに自分勝手か憎しみや恨みを言って聞かせ、私も実際に暴力をふるう父を見ると「父は悪いヤツなんだ」と思って育ちました。
子供ながらに「離婚をしたほうがいいのではないか」と母に言ったこともありますが、その時「アンタ達のために離婚しない」と言われたので申し訳ない気持ちになったのを憶えています。

母は「不幸でなければ自分ではない」と思ってるんじゃないか? というくらい不幸自慢をする人でした。
「子供の頃から両親や学校の先生から虐げられ、結婚したら旦那からも虐げられ、妹達からもバカにされ、私は何も悪いことしてないのに」← 本人談

結局、両親は今から9年程前に離婚しました。
もう既に私たち姉弟は家庭を持っていたので同居はしていませんでしたが、家出した母と残された父を仲介したのは私。
両親がそれぞれ離婚届を書いているのを見守ったのも私です。
辛かったしイライラしたけど長女だから仕方ないと思っていました。

母は悠々自適な一人暮らしを始めたにも関わらず、口を開けば悪口ばかり。
もう母の両親も学校の先生も夫もいないのに。
せっかく自由な暮らしができるようになったのに。
私も大人になり親になり、母の苦労が想像できるようになりましたが、それにしても不幸自慢の度が過ぎる。
たしなめたこともありますが、あの母の不機嫌な表情、低い声で一気に胸がギューッと苦しくなり「なんとかしなくては!」という気持ちになるのです。

離婚から数年後、父は他界し母は鬱病になりました。
好きだったナンクロガーデニングをやめた。若い頃からの趣味の洋裁や編み物をやめた。車の運転をやめた。掃除をやめた。調理をやめた。日中パジャマから着替えるのをやめた。父の悪口をやめた。白髪染めをやめた。深く考えることをやめた。
何もかもがめんどくさいと言うようになりました。

母の介護は私が会社勤めをしている頃からやっています。
妹は車がないので、できないそうです。
弟は県外住みなので、できないそうです。
私は車があって近くに住んでいるからやっているのでしょうか?
長女だからやっているのでしょうか?

牛は水を飲んで乳を作る。
蛇は水を飲んで毒を作る。
人は、学んで菩提を得るか、学ばずに悪因縁の範疇で苦悩の人生を過ごすか。

などと善人になりたくて仏教の勉強をしている時には、自分を犠牲にして他人のために頑張りましたが結果は散々でした。
だったら好きなことして楽しく生きたほうがいいじゃん。
私はね、車の運転も母のことも嫌いなんだよ!
………そう言ったら何かが変わるんですか?
みんなが嫌な気持ちになるだけだと思うんですけど。