HSPの人生に安らぎを

子供の頃から、どうにかちゃんとした人になりたくて空気を読みつつ生きてきたら鬱病になりました。夫も鬱病で退職し私一人の時間が激減。私のSOSは夫には届かず息が詰まる生活を強いられている54歳の秋、何かに導かれるようにHSPを知りました。長い間自分の頭がおかしいと思っていたので少し救われたような気がしましたが、それを知ったところで状況は何も変わりません。どういうことが辛くて苦しいのかを記録することで吐き出し、どうしたら楽になるのかを考えていきたいと思います。

地獄の結婚生活から這い上がる強い気持ち

https://woman.excite.co.jp/article/lifestyle/rid_Meotalk_httpsmeotalkjplife15954/

2年前の記事ですが、正にコレが私と前夫の関係性でした。
先程たまたま見つけて読んでしまい…………いろいろと甦りました、辛い気持ちの数々が。

当時はモラハラなんて言葉を聞いたこともありませんでした。
私の記憶ではモラハラよりもドメスティックバイオレンスという言葉のほうが先に世の中に広まったのですが、それも離婚後数年経ってからのことでした。
初めてDVという言葉とその意味を知った時「うわぁー!この心理状態、私の結婚生活と同じじゃん!私は前夫にDVを受けてたのかー!」と衝撃を受けましたが、そのまた数年後にモラハラという言葉が一般的になると「いやいやモラハラもだわ」と苦笑w

よく昭和の親父が子供にやっていたような「頭にゲンコツ」は前夫から何度かくらったし、後半には壁際に追い詰められて私の顔スレスレにグーパンして壁に穴を開けたり(当然本人は拳が血まみれ)、私の胸ぐらを掴んでその拳を口元に強く押し当てられて口の中を切ったりしたこともあったので暴力が全く無かったとは言い切れませんけど。
夜の営みも強要されてましたしね、機嫌が悪いと怒鳴ったり頭にゲンコツくらわす男としたいなんて思うわけがないですよ。

ワンオペ育児は当たり前すぎて疑問にも思わなかったから、もちろん「ワンオペ育児」という言葉すら無い時代でした。
前夫の給料は前夫の欲しい物や呑み代に消えて生活費はわずか。
仕方ないのでリボ払いでキャッシングして自転車操業でした。
それでも欲しい物があると「誰かから借りてこい」と言われ母から借りたこともありました、反論できませんから。
前夫の機嫌を損ねると怖い思いをするし、それに日常的にダメ出しをされまくっているので反論どころか「私がちゃんとできないからだ」と反省していました。
今考えれば、これは決定的なことでした。
「私は劣っている」と自らダメ人間のレッテルを貼ったまま大人になっていたからです。

そういえば偽装離婚を提案されたこともありましたw
離婚して母子手当金をもらう。
だけど実際は一緒に暮らす………みたいな話しだった記憶がありますが、さすがにこの話しは実行されませんでした。

「じゃあ、どうしてこんな男と結婚したのさ?」と普通に思いますよね?www
そりゃそうですけど、それにも私なりにちゃんと理由があります。
でも長くなるのでまたの機会に。

話しを戻しまして、こんな反論できない状態なのにどうやって離婚を切り出すことができたのか………。
まず、いちばんは子供達への悪影響を考えました。
頻繁ではなかったとは言え躾と称した体罰が行われていました。
回数が多い少ない、力が強い弱いなど関係なく、子供に手をあげるのはいけないことです。
そして私はそれを体を張って止めさせることができませんでした、怖くて見ているだけの最低の母親でした。
私自身も両親から体罰を受けていて辛い気持ちは分かりすぎるほど分かっているのに。
私の母も父からDVを受けていました。
両親のそんな姿を見て育った私は「自分の子供達に同じ思いをさせられない」と強く思ったのです。

それでもやっぱり恐怖が先に立ち、何年も物申すことができずにいました。
その間、憧れのママ友に誘われた教えに入信し精進しました。
この代々続く悪因縁から子供達を守るため、「こんな辛いことは私で終わらせるんだ!」と必死でした。(いろいろあって今はやってません、これもまたの機会に)

そんな中、前夫からの身体的暴力での支配が始まる寸前「離婚してください。子供達を連れて行かせてください、他には何も要りません」と勇気を出してお願いすると、思うよりスムーズに「いいよ」と返事がありました。
本当に驚きましたが「これは教えのおかげだ!」と感謝の気持ちでいっぱいでした。
このことで「精進すると仏様の加護をいただける」と、本気で教えにのめり込むきっかけになりました。
私が辛いことに立ち向かうことによって周囲の環境が良くなっていく………良くならないのは私の努力が足りないから………という思考です。
これはこれでどうかしてますがw兎にも角にも気持ちを強く持って話したことで、ようやく1歩前に進むことができたのです。