HSPの人生に安らぎを

子供の頃から、どうにかちゃんとした人になりたくて空気を読みつつ生きてきたら鬱病になりました。夫も鬱病で退職し私一人の時間が激減。私のSOSは夫には届かず息が詰まる生活を強いられている54歳の秋、何かに導かれるようにHSPを知りました。長い間自分の頭がおかしいと思っていたので少し救われたような気がしましたが、それを知ったところで状況は何も変わりません。どういうことが辛くて苦しいのかを記録することで吐き出し、どうしたら楽になるのかを考えていきたいと思います。

地獄の結婚生活から這い上がる強い気持ち

https://woman.excite.co.jp/article/lifestyle/rid_Meotalk_httpsmeotalkjplife15954/

2年前の記事ですが、正にコレが私と前夫の関係性でした。
先程たまたま見つけて読んでしまい…………いろいろと甦りました、辛い気持ちの数々が。

当時はモラハラなんて言葉を聞いたこともありませんでした。
私の記憶ではモラハラよりもドメスティックバイオレンスという言葉のほうが先に世の中に広まったのですが、それも離婚後数年経ってからのことでした。
初めてDVという言葉とその意味を知った時「うわぁー!この心理状態、私の結婚生活と同じじゃん!私は前夫にDVを受けてたのかー!」と衝撃を受けましたが、そのまた数年後にモラハラという言葉が一般的になると「いやいやモラハラもだわ」と苦笑w

よく昭和の親父が子供にやっていたような「頭にゲンコツ」は前夫から何度かくらったし、後半には壁際に追い詰められて私の顔スレスレにグーパンして壁に穴を開けたり(当然本人は拳が血まみれ)、私の胸ぐらを掴んでその拳を口元に強く押し当てられて口の中を切ったりしたこともあったので暴力が全く無かったとは言い切れませんけど。
夜の営みも強要されてましたしね、機嫌が悪いと怒鳴ったり頭にゲンコツくらわす男としたいなんて思うわけがないですよ。

ワンオペ育児は当たり前すぎて疑問にも思わなかったから、もちろん「ワンオペ育児」という言葉すら無い時代でした。
前夫の給料は前夫の欲しい物や呑み代に消えて生活費はわずか。
仕方ないのでリボ払いでキャッシングして自転車操業でした。
それでも欲しい物があると「誰かから借りてこい」と言われ母から借りたこともありました、反論できませんから。
前夫の機嫌を損ねると怖い思いをするし、それに日常的にダメ出しをされまくっているので反論どころか「私がちゃんとできないからだ」と反省していました。
今考えれば、これは決定的なことでした。
「私は劣っている」と自らダメ人間のレッテルを貼ったまま大人になっていたからです。

そういえば偽装離婚を提案されたこともありましたw
離婚して母子手当金をもらう。
だけど実際は一緒に暮らす………みたいな話しだった記憶がありますが、さすがにこの話しは実行されませんでした。

「じゃあ、どうしてこんな男と結婚したのさ?」と普通に思いますよね?www
そりゃそうですけど、それにも私なりにちゃんと理由があります。
でも長くなるのでまたの機会に。

話しを戻しまして、こんな反論できない状態なのにどうやって離婚を切り出すことができたのか………。
まず、いちばんは子供達への悪影響を考えました。
頻繁ではなかったとは言え躾と称した体罰が行われていました。
回数が多い少ない、力が強い弱いなど関係なく、子供に手をあげるのはいけないことです。
そして私はそれを体を張って止めさせることができませんでした、怖くて見ているだけの最低の母親でした。
私自身も両親から体罰を受けていて辛い気持ちは分かりすぎるほど分かっているのに。
私の母も父からDVを受けていました。
両親のそんな姿を見て育った私は「自分の子供達に同じ思いをさせられない」と強く思ったのです。

それでもやっぱり恐怖が先に立ち、何年も物申すことができずにいました。
その間、憧れのママ友に誘われた教えに入信し精進しました。
この代々続く悪因縁から子供達を守るため、「こんな辛いことは私で終わらせるんだ!」と必死でした。(いろいろあって今はやってません、これもまたの機会に)

そんな中、前夫からの身体的暴力での支配が始まる寸前「離婚してください。子供達を連れて行かせてください、他には何も要りません」と勇気を出してお願いすると、思うよりスムーズに「いいよ」と返事がありました。
本当に驚きましたが「これは教えのおかげだ!」と感謝の気持ちでいっぱいでした。
このことで「精進すると仏様の加護をいただける」と、本気で教えにのめり込むきっかけになりました。
私が辛いことに立ち向かうことによって周囲の環境が良くなっていく………良くならないのは私の努力が足りないから………という思考です。
これはこれでどうかしてますがw兎にも角にも気持ちを強く持って話したことで、ようやく1歩前に進むことができたのです。

他人軸を自分軸に切り替えるためのヒント

昨日は「他人軸から自分軸に切り替える方法を発見した」と書きました。
その時のことを日常の記録をしているほうのブログに書いていたので、忘れないようにここにリンクを貼っておきます。

https://mofumofu-wanko.muragon.com/entry/912.html

https://mofumofu-wanko.muragon.com/entry/944.html


こちらのHSPブログに、子供の頃から高校生の途中までの出来事を吐き出してみてわかったことは「明るくハキハキ話しをする女性になれ」と両親や教師から求められていたこと。
そして私にはそれができず、無邪気に会話ができるクラスメイトと比べ「私は劣っている」と自らダメ人間のレッテルを貼ったまま大人になりました。

無意識に他者の感情を受信してしまうので他者の目が気になり、ダメ人間だということがバレるのを恐れて「目立たないように」もしくは「私、何も気にしてません」という演技をして生きてきました。
演技はかなり上手いです、子供の頃からやってますからw
もちろん相手を騙す演技ではなく、相手を気づかっての演技ですけど。
まぁ何にしろそんなことをしていたら自分の本音がわからなくなります。
すると「相手の喜びが私の喜び」などという女神様のような思考になっていきました。

最初の結婚をし長女を出産してすぐ前夫がひき逃げされて数ヶ月入院し、退院後も数ヶ月職場復帰できない時期がありました。
職場の同僚とお酒を飲み歩いている時の事故でした。
夜中に電話で連絡があり、生後2ヶ月の長女を連れて病院に駆けつけました。
転居して知人友人もいない土地での初めての子育て、前夫の入院、看護師と浮気。
ひき逃げ犯の車が特定されてからの事故関係の様々な事は、前夫が入院中だったので私ひとりでやりました。
疲れ果てていましたが前夫と長女のために頑張りました。
前夫の機嫌が悪いのは私がちゃんとしてないから。
看護師と浮気したのは私がちゃんとしてないから。
前夫に笑っていてほしくて私なりに頑張りました。

その後、長女と公園デビューしママ友ができました。
歳上の素敵な女性で優しくて良い人でした。
私が2番目の子を流産したのをきっかけに、彼女が信仰していた教えに誘われ入信しました。
「私も彼女みたいに良い人になりたい」
それで自分の存在意義を作りあげて「もう私はダメ人間じゃない、ちゃんとした人になったんだ」と頑張り続けました。
そこには本当の意味での私はいませんでした。

私の人生の選択の優先順位は全て他人軸で考えていました。
でも他者の感情を無意識に受信するだけで実際は何も言われてないし頼まれてもいません。
重要なのは、よく知りもしないのにわかっているような気になる、という「私の自分勝手な他人軸」なのではないかと。
勝手に「この人のために私はこうしているんだ、仕方ない」と自分に言い聞かせて良い人ぶる。
離婚後も職場でもプライベートでも、私は自分勝手な他人軸を発動し続けました。
教えでは「自分が損をしても他者のために行動することが幸せになる道だ」と言われていましたから。
これで幸せになれるんだと信じ込んでいました。

最初の結婚の話しも宗教の教えの話しも、機会があったらまた書きます。

そんな私が自分軸に切り替えるのは至難の業ですが「プリンセスお母さん」のおかげで光が見えてきました。
日々苦しくても考えることをやめてはいけないと思います。
何がヒントになるのか、いつどこで光が見えてくるのか、これは意識してアンテナを立てて受信すべきです。
自分にしか気づかないヒントですから。

前向きな人生を歩める予感

高校生のエピソードから先に進めなくなっております。
理由は2つ。
1つは、思い出したくないことが多いので思考が停止してしまうからです。
大きな流れだけを簡単に言ってしまうと、卒業 → 就職 → 結婚 → 出産 → 離婚 となります。
20歳代から30歳代前半までのことは「忘れよう忘れよう………」と思いながら生きてきたので、今ここで思い出しながら文章にしようとすると辛くなってくるのです。

もう1つは、他人軸思考を自分軸思考に切り替える方法を見つけたからです。
長い間ずっと他人軸だったので、すぐに切り替えられるようになったわけではないのですが、自分なりの方法で自分軸で生きることの楽しさを実感できました。
これぞ目からウロコ!
自分軸ってこんなに楽なんだ!
気持ちが楽になると、たちまち体調も良くなりました。
こう文字にすると、何かの広告のセリフみたいですけどwww

そんなわけで、思い出すのが苦痛だなーと書けなくなっていた時に思考切替え方法を発見したので、わざわざ無理してデトックスする必要がなくなったのです。
「一度始めたことを途中でやめるなんて………」という葛藤もありますが、このブログは誰かに向けて書いているものではないので「自分が書きたい時に書けばいいんじゃ~ん」と思えるようになりました。
時系列とか文章の繋がりとかも考え始めたら深みにハマってドンドン書けなくなっちゃうんですよ。
私ちょっと真面目すぎるんですねぇ。

↓思考切替え方法発見のヒントになったのはコレ

プリンセスお母さん

プリンセスお母さん

思考切替え方法を発見して取り組んでいる最中なので、日々いろいろな感情が生まれます。
その時々の気持ちの動きは日常の記録をしているブログのほうに書いているので、気が向いたらコチラにも書こうかな。

敵か味方か

部活中心に高校生活を送っていた私は、放課後や休日にクラスメイトと遊ぶことは殆どありませんでした。
でも、授業でグループになる時や休み時間などで一人ぼっちになることはなく、とりあえず優しい誰かが声をかけてくれました。

いつの頃からかは忘れましたが、土屋太鳳さん似のクラスメイトがよく声をかけてくるようになりました。
目が大きくて可愛らしい太鳳は、身長は私と同じくらい低いのですがバストサイズが大きく、話しを聞いていると自分の容姿に自信があることがわかりました。

太鳳には片思いの人がいて、話題はいつもその人のことでした。
その人、マサヒコさんは太鳳の地元の先輩で「すっごくカッコイイの!」と目をキラキラさせて話していました。
恋する太鳳がマサヒコさんの話しをするのは可愛かったのですが、毎度毎度「マサヒコがね♪」となると、さすがに食傷気味でした。
他のクラスメイトからも「太鳳またマサヒコの話ししてるよ………」という呆れ声も聞こえてきました。

ある日いつものように太鳳が声をかけてきて「マサヒコに告白したの」と、その時のことを話し始めました。
なんと、服を脱いで「抱いて!」と言ったそうで、聞いている私が恥ずかしくなりました。
「コイツは、なんつーことをやってるんだ………」というショックで結末はあやふやですが、抱いてもらえず、彼女にもなれなかったけど、確か大人の対応をしてくれたんだったと思います。
マサヒコさん良い人!笑

その日から私は太鳳を敬遠するようになりました。
マサヒコの話しはもうたくさんでしたし、何より「私は太鳳とは合わない」と思ってしまったからです。
暫くして太鳳は学校を辞めました。
最後に太鳳は「アイドルになろうと思ってる」と言い、自分が使っていた学生カバンを私にくれました。
持ち手部分を長くして黒いビニールテープが巻かれており、マチ部分の芯を抜いてペッタンコにした改造カバンでした。
蓋を開けると内側に「一代目〇〇」「二代目〇〇」と書いてありました。
〇〇は名前でローマ字だったかイニシャルだったか………笑
そのカバンの持ち主の名前で、二代目は太鳳でした。
「三代目は花実だよ」と。
それから何年後かに「太鳳が結婚したらしい」という噂を聞きました。


高校の3年間で3回だけしかなかったのですが、クラスメイトと遊びに行ったことがありました。
初めて遊んだのは、同じ中学校卒業の下間花梨さん似のよく笑うおとなしい子と、もう一人はクラスの秀才スポーツもできてハキハキ話す田中律子さん似の子と3人でショッピングセンターに行った時です。
最寄り駅のショッピングセンターではなく、少し離れた駅近くのショッピングセンターに行くということで楽しみにしていました。

ところが私、何も憶えていないんです。
何故かと言うと、ショッピングではなく万引きだったからです。
本当に驚きました。
アクセサリー売り場でネックレスを見ていると、花梨と律子が商品をバッグに入れ始めたのです。
驚いて「ちょっと!何やってんの?」と言うと「花実もやりな!早く!」と二人に言われ、言われるがまま私も目の前に並べられていたロケットペンダントをバッグに入れてしまいました。

学校でも電車の中でも、二人は一言も万引きの話しはしていませんでした。
二人の間では話しができていたんですね。
いかにも万引きしそうな不良とは真逆のタイプの二人だっただけに、私はショックを受けました。
その日、他の売り場に行ったり食事をしたりしたはずですが、万引きのインパクトが強すぎて、それ以外のことはまるで憶えていません。
お喋りもたくさんしたはずですが、帰りの電車の中でも二人は一言も万引きの話しはしませんでした。
でも私はやってしまったんです。
二人を止めることはできなくても、私はお金を払って欲しい物を買うことはできたんです。
それなのにやってしまった………家に帰って、そのロケットペンダントは捨てました。
次に学校で会った時も、その後もずっと二人は一言も万引きの話しはしませんでした。
あんなことをしたのに、時間が経つにつれて「現実じゃなくて悪夢だったのかな………」と思うほど何もありませんでした。
二人と遊びに行ったのはそれっきりです。


今、書いていて思い出したのですが最寄り駅のショッピングセンターで小学校時代の同級生に会ったことがありました。
山田邦子さん似の彼女は小学生の頃から背が高く、子供ながらに少し近寄り難い、というか関わらない方がいいと感じていました。
なので中学校でも関わり合いは無く、ぼんやりですが山田さんは転校していたような………してないような………?
まぁ、そのくらい無関係な関係だったのです。

ある日の学校帰り、バスの時間待ちのために一人でウインドーショッピングをしていました。
婦人服売り場にいると、私とは違う高校の制服の子が来ました。
「あ、山田さん………」
山田さんも私のことがわかったようで笑顔で近づいてきました。
山田さんは相変わらずスラッと背が高く、私と同じく一人で来ていました。
お互いの制服を見て「〇〇高なんだね」とお互い言い合うくらいの軽い会話をしました。

その時ふと何かを感じ、辺りを見回すと複数人の店員さんが遠巻きにコチラを見ていました。
すぐに「万引きだ………」と感じ、仲間だと思われたくないので「じゃあね」と山田さんから離れました。
山田さんはそのまま売り場の中に入って行き、店員さん達の視線もそのまま山田さんに向けられていたのを見て、私は売り場から出て行きました。


クラスメイトではなかったのですが、同じ中学校卒業で同じ部活だった柏木由紀さん似のお喋りな友人に「お見舞いに行くから一緒についてきてほしい」と頼まれたことがありました。
誰のお見舞いかと聞くと、中学校時代の同級生の男子Yくんで「バイクで事故って意識がないんだって」と。
私はYくんと同じクラスになったこともなく、話しをしたこともなかったので「由紀ってYくんと仲良しだったのか………」と思い、一緒に病院に行くことにしました。

私は完全に由紀の付き添いのつもりでいたので、病室に入ってもYくんのお母さんに挨拶しただけでベッドの近くにも行かず、ドアの前に立っていました。
そう長い時間でもなかったのですが、由紀はYくんのお母さんと話しをしていました。
そしてバッグからチラシのような物を取り出し、自分が入信している宗教の話しを始めました。
私は部外者でしたが「布教活動のために来たのか!」と相当驚きました。
まず同級生の友人が大人と対等に話しができるということ自体が驚きでした。
私が話しをする大人は両親と学校の先生くらいしかいなかったし、それも自分から積極的に話すことはなかったからです。
由紀の家族が手かざしの宗教をやっているのは知っていましたが、こんな状況の所に行って直接説明するのを目の当たりにすると、違和感しかありませんでした。
その後Yくんのお母さんが入信したのか、興味がないので聞きもしませんでしたが、確かYくんは亡くなったと聞いた気がします。

高校生になってから、由紀は学校の友人にも宗教の話しをするようになりました。
私も何度か誘われて、一度だけ道場という所に連れていかれましたが、やっぱり気が進まなかったので中に入らずに帰りました。


特に私から働きかけなくても、私の周りでいろいろなことが起きました。
それは当たり前ですよね、みんなそれぞれの人生を進んでいるのですから、少なからず私にも影響が及びました。
高校生になって出会う人の数が増えたり、行動範囲が広がると、私の思いもよらないことが起き刺激されました。
私は自分の身を守るために「この人は敵か味方か?」と考える癖がついていきました。

水鏡との会話

年末の投稿から1ヶ月以上経過してしまいました。
私の後ろ向きの性格からか、ろくでもない思い出しかないので、それを文章にするのが苦痛で………www
これなんですね、このドロドロした物を吐き出さないと。
キャパは変わらないんだから、要らないものは処分しなきゃねぇ。

?「その手に後生大事に握ってるモノは何ですか?」
私「あ、これは今までのイヤな思い出です。馬鹿なことばかりで恥ずかしいので隠してるんです」
?「なるほど。でもそんなにずっと握りしめてなくても………」
私「自分で見るのもイヤなんです。でも無かったことにはできないし、そこらへんに置いておくのも心配だし困ってます」
?「何が心配なんですか?」
私「誰かに見られて変な人だと思われないでしょうか?私、みんなみたいに普通の人になりたいんです」
?「普通?普通ってどういうことですか?」
私「普通は普通ですよ。変な人だ、困った人だと思われたくないんです」
?「あなたは誰かを困らせてないのですか?」
私「若い頃は困らせたことがあります。それがイヤな思い出なんです、恥ずかしい過去です」
?「今は?」
私「今は無いと思います、気を使ってますから。逆に困ってますよ、私の方が」
?「周りに変な人がいるんですか?」
私「いるんです。本当に困ってます」
?「そんなに困るなら付き合わなければいいのに」
私「それはできませんよ、家族(母&夫)ですから」
?「家族のことは全部あなたが引き受けないといけないわけではないでしょう?」
私「そうなんですか?」
?「そうですよ。それをやっていたら、あなたがやりたいことができなくなりますよ」
私「そうなんです!私がやりたいことは後回しです。イライラします」
?「あなたがやりたいことって何ですか?」
私「綺麗なものに囲まれて、毎日穏やかに暮らすことです」
?「今はいつもイライラしてて、真逆ですね」
私「はい。本当に困ってるんです!」
?「やりたいこと、やった方がいいですよ」
私「でも………」
?「あなたも、あなたがやりたいことをやって家族を困らせてやればいい」
私「家族が困るほどのことをやりたいわけじゃないんですけどね。綺麗なものに囲まれて暮らしたいけど、たくさんのお金が必要で借金しなきゃいけないわけではないし」
?「常識的な範囲で、ですよね」
私「もちろんそうです。でもそれができないって、どういうこと?ってイライラするんです」
?「じゃあ、やるべきだ!」
私「いいのかなぁ?家族には協力してほしいって言い続けたけど何もやってくれないんですよ。だからイヤなんだと思います。やりたくないんだと思います」
?「家族の気持ちは無視して、あなたがやりたいことをやればいいんですよ。家族がイヤだと思っても、あなただって家族にイヤな思いをさせられてるわけだし、お互い様ですよ」
私「相手がイヤだとわかってるのにやるなんて、なんだか意地悪をするみたいな気持ちになります」
?「あなたは家族に意地悪をされていると思っているんですか?」
私「あまりに思いどおりにならないので、そんな気がする時もあります」
?「多分それ意地悪じゃないんでしょうけど、意地悪だとしてもいいんですよ。あなたが常識外れなことをするはずがないんだから」
私「当然ですよ!私は普通の人になりたいんですからね」
?「そう。あなたは、あなたがやりたいことをやっていいんです。あなたの考えていることは常識の範囲内だから」
私「良かったー!周りに変な人がいると、逆に私の方が変な人なのかなぁ?と不安になるんです」
?「あなたは変な人だと思われることを随分と後悔して隠してきたんですね」
私「はい、それはもう!」
?「もう充分後悔したのだから、もう手放しても大丈夫ですね」
私「ええっ!それはちょっと………!」
?「今更あなたを責める人はいませんよ。いるとしたらあなた自身だけです」
私「そうでしょうか………」
?「あなたの思い出に興味がある人は、あなたしかいません」
私「確かにwww」
?「その手に握りしめている不要なモノを他の場所に置かないと、今ほしいモノを掴めないじゃないですか」
私「確かに確かに!」
?「ここに置いておくといいですよ。思い出すのは辛いでしょうが文章にすると客観的に考えられるし、気持ちの整理ができます」
私「わかりました。それで『クヨクヨ考えるのはもうお終い!』ということになりますもんね」

?さんのおかげで心は決まりました。
まぁね………急ぐ必要もないので、ゆっくりやりますわ。

抹消したい青春時代の汚点

吹奏楽部には男子の先輩がいませんでした。
私たちの学年から男子部員が5人入部し、その下の後輩にも男子が数人いましたが圧倒的に女子が多い部でした。
私が入部した時のトランペットパートは3年生の先輩が2人と新入部員が3人。
初心者の私、初心者の男子Aくん、マイトランペットを持っている経験者の男子Hくんという3人です。
3年生の先輩2人が引退したらトランペットパートは私たち3人だけになりました。

記憶があやふやなのですが、私はHくんとおつき合いすることになりました。
確か私は他のパートのKくんのことを「いいなぁ」と思っていました。
でもそれはすぐにやめました。
他のパートのМちゃんがKくんを好きだと知ったからです。
特にショックを受けた記憶がないので「じゃあKくんはやめて私はHくんにするか」くらいの思いだったのでしょう。
МちゃんとKくんはおつき合いすることになりました。
2年生の夏、部のみんなで海水浴に行くことになった時、「海水浴の日、Hくんが花実に告白するよ」と聞きました、たぶんМちゃんから。
だから何日も前から告白されるとわかっていました。
変な話しですがサプライズも何もない始まりでした。

ラブラブなМちゃんとKくんに合わせて、私もHくんを好きになりました。
部活が忙しかったので放課後に遊ぶことはできませんでしたが、できる限り一緒に下校しました。
Hくんはクールスが好きで、ヘアスタイルをリーゼントにしていました。
クールスのアルバムを借りて聴きましたが私にはピンときませんでした。
その頃の私は部活の影響でクラシック音楽と、以前から好きだった洋楽を中心に聴いていたからです。

ある時ふたりで原宿に行くことになりました。
学校以外で会うことはなかったと思うので初デートだったかもしれません。
駅で待ち合わせをし、現れたHくんは全身真っ赤でした。
真っ赤なベロアのジャージのセットアップ………私は一緒に歩くのがイヤでしたが、イヤだとは言えず何でもないフリをしてその日を過ごしました。
それから、彼のほっぺたがいつもカサカサ粉を吹いているのもイヤでした。
こんなことで気持ちが冷めていく自分にイライラしました。
「好きという気持ちは見た目には関係ない」と思いたかったからでした。
それから3年生の先輩が引退し、Hくんは吹奏楽部の部長になりました。
部長の彼女という立場も悪くないし、МちゃんとKくんは相変わらず仲良し。
だから私も何事もないように振る舞い、暫くおつき合いは続きました。

しかしある日、決定的な事が起きてしまいました。
学校帰り、いつものようにHくんが私の家まで送ってくれている時のことです。
普段からそんなに人も車も通っていない道をふたりで歩いて家の近くまできた頃、近所のラーメン屋の店員が通りかかりました。
その若い男性店員は白い制服を着てバイクに乗っていましたし、たまに行っていたラーメン屋の店員なので顔は知っていました。
突然、店員はバイクを停め、私たちの方に来て「ガンつけてんじゃねえよ!」と言いHくんに暴力を振るってきました。
Hくんはやられっぱなしで反撃せず、私は驚きと恐怖で声も出ませんでした。
店員が去って行ったあとも、私はHくんに「大丈夫?」と声をかけることしかできませんでした。
こんな時、普通の女の子はどんな行動をとるのでしょうか。
私は「私と一緒にいる時にこんなことになって、Hくんは恥ずかしいんじゃないだろうか?」ということだけが心配でした。

実はそれからの記憶が………!
その後、学校で会った時のことなど全く憶えていません。
最悪なのは、その後のHくんとの記憶がお別れをした時のことなんです。
この辺りは私にとって無かったことにしたい思い出です。
思い出していると胸が苦しくなるし本当に記憶があやふや………ということは当時から忘れようとしたけど抹消することができず、所々しか憶えていない状態なのかもしれません。
どこでどんな風に再会したのか憶えていませんが、中学校の時の同級生で高校に行ってなかったNくんに告白されておつき合いすることにしたので、Hくんとはきちんとお別れしなければならないと思いました。
学校帰りだったでしょうか、私はHくんに「好きな人ができたから別れてください」と言いました。
何だか申し訳なくて、私からお別れを言っているのに私が泣いていました。

Nくんとのおつき合いは短い期間でしたし、青春時代の汚点としか言いようがないので抹消したい思い出のひとつです。
そもそもNくんは高校に進学しなかったのか退学したのか高校に行かずに何をしているのかなど、そのくらい話しをしたはずですが全く記憶がないのです。
学校が終わってから頻繁に会えると勝手に思っていましたがなかなか会えず、会っても忙しそうで一緒にいる時間も短かいものでした。
そんな中、Nくんに「1万円貸してほしい」と言われました。
理由を聞いた上での判断か聞かずでの判断かも憶えていませんが、一月のお小遣いが5千円だったのに、バカな私はNくんのために貸してあげたいと思いました。
当時、高校生でアルバイトをしている子は少なかったと記憶しています。
夏休みなどの長期休みの時にやっていた子はいましたが、私は部活中心の生活をしていたので親からのお小遣いしか手にしていませんでした。
そんな私の目から見て、部活仲間のKくんはいつもお金に余裕があるように映っていました。
浅はかな私はKくんにお金を借り、Nくんに渡したのです。
Kくんは理由を聞かずに貸してくれたのかなぁ?
それとも私は嘘の理由を言ったのかも………それも忘れました。
お金を渡したあともNくんにはなかなか会えませんでした。
ある時LiLiCoに「町でNが女と歩いてるのを見たよ、大丈夫なの?」と言われました。
そこでようやく気づいた私…………アホすぎる。
「高い授業料だと思って………」高校生の私がそんな言葉を知っていたのかどうかわかりませんが、私は「バカなことをしたからバチが当たったんだ」と思いました。
そして今これを書いていてうっすら思い出したのですが「もう会えません。お金は返してくれなくていいです。」という手紙を出したような………いや出したわ手紙w
きちんとけりをつけたい性格なんですね、アホやん恥ずかしい。

これ、何でも相談できる親友なんかいたら「お金を貸してなんて言う男はろくな奴じゃないよ!」って気づかせてくれたのかしら?と妄想したりします。
Kくんには毎月千円ずつ返しました。
Hくんには誕生日だったかバレンタインデーだったかに手作りケーキを渡しました、普段ケーキ作りなどしたことがなかったのに。
作った翌日に見るとスポンジが硬くなっていました。
もう作り直す時間も材料もなかったので、そのまま渡しましたが美味しくなかっただろうなぁ。
お詫びのつもりの手作りケーキ大失敗でした、恥の上塗りですよ。

あ~………今回は思い出したくない思い出を書いたので気持ちが沈んで書くペースも遅くなりました。
なんたって誰にも話したことがない、思い出したくもないことを吐き出すんですからね。
デトックスってメチャクチャ消耗するわ。
(´・ω・`;)ハァー・・・

嫌いな勉強と窮屈な校則

そろそろお勉強のことを書きますか………。
商業高校なので普通科目の授業が少なく、そこに商業科目が入ってきます。
簿記会計、情報処理、和文タイプライター、かなタイプライター、英文タイプライターなどです。
ワープロとかパソコンとかなかった時代ですからね。
あ、珠算もあったか。
珠算のおじいちゃん先生に、黒い綴込表紙の分厚いヤツで頭を殴られた記憶があります。
当時の先生は普通に生徒を殴ってましたよね。
担任の先生にはビンタもされたなぁ、教室で缶ジュースor瓶ジュースを飲んだのがバレて。
反省どころか、私の場合は憎しみしか生まれませんでしたけど。
カトリーヌやLiLiCoもよく殴られていましたが何故か先生に懐いていました、不思議だわ。

話が逸れましたw
それぞれ検定試験があり、最低でも3級を取得しておかないと卒業できないと言われました。
ということは逆に、一生懸命になって上を目指さなくても3級を取得しておけばあとは安心なわけです。
資格のことだけではありません。
30点以下が赤点なので、全科目それぞれ30点を取っていれば留年は免れるんです。
部活のために学校に行っているようなものだったので出席日数は充分足りていました。

「嫌いなことは最低限でいいと思う」
でもこんなことは誰にも言えませんでした。
上を目指すのが当たり前の世界に生きていたからです。
変な子だと思われるのが本当にイヤでした。
「私も皆のように夢や目標があったり上を目指すことができる人になりたい、どうして私はそれができないんだろう?」
私は勉強せず楽しい部活に逃げました。
授業中は気配を消し、時間が過ぎるのを待って音楽室に入り浸っていました。
「イヤなことから逃げるなんて根性なしだ。やっぱり私はダメなヤツなんだ。学生の本分は勉強なのに私ときたら………最悪だ」
好きなことにしか気持ちを向けられない自分を卑下して、劣等感を強くしていくばかりでした。

そんな私の成績は、いつもクラスで下から10番以内だったと思います。
そりゃそうですよねぇ。
今、証拠として成績表の写真を撮ろうと探しましたが見つかりませんでした。
う~ん、どこにしまったんだっけなぁ………
見つかったら載せますw

商業高校の生徒は卒業後に殆どが就職をするので資格取得はもちろんのこと、校則も厳しかったと思います。
目立ちたいのではなく制服をオシャレに着たい!
ヘアスタイルも可愛くしたい!
ただ純粋にそう思っているだけなのに、それは校則違反なのです。
授業中は気配を消していましたが服装はやりましたよwww
上着は細め短めにしてスカートは長めに。
20デニールのダークグレーのストッキングに、つま先が尖り気味の靴。
顔まわりに部分パーマをかけて聖子ちゃんカット。
「それって目立ちたいんでしょ」と思われるでしょうが私としては違うんです、そこじゃないんです。
校則違反なのはわかってるけど「自分が可愛くしていたい」だけ。
他人に見せたいわけではないのです。
せっかく可愛い制服なのにブカブカ上着に膝下丈のスカート。
白いスクールソックスをふくらはぎの真ん中まで伸ばして、「筋トレですか?」ってくらい重たいクラリーノの学生カバン。
でも、このスタイルが合格で私のは不合格でした。

メイクもダメでした。
ファンデーションは必要なかったのですが、眉毛を整えて目尻にピンクアイシャドウをのせました。
細い眉毛にしたわけじゃないですよ、眉間部分の毛を抜いたりして整えただけです。
それに、目尻にピンクを入れたら可愛いなーと思ったんです。
当時はピンク色のアイシャドウなどなかったのでピンクチークを目尻にのせました。
ぜったいに可愛かったのにカトリーヌとLiLiCoに「チークを目に塗ってんのー?w」とバカにされました。
もう最悪でした。
「ピンク可愛いじゃん!」と言い返せず「ヤバい!変なヤツだと思われた!」と落ち込んでいるところに今度は部活の先輩に呼び出されて「校則違反は連帯責任になるから部活動に影響する」と注意されたので、先生に怒られる前にメイクはやめました。
社会人になってからもピンクアイシャドウはしませんでした、またバカにされると辛いから。
今の若い子はピンクメイクができて羨ましいなーと思います。

嫌いなことはやらなきゃいけないし、好きなことはやっちゃダメ。
やっちゃダメでも好きだから貫き通すわ!という根性がない。
貫き通す根性がないから「ダメだ」と言った他人のせいにする。
私はやりたいのに、あの人がダメだって言うんだよ(怒)と。
このズルい考え方は今も引きずってます。
自分がやりたいならやればいいのに、他人の目が気になるんです。