HSPの人生に安らぎを

子供の頃から、どうにかちゃんとした人になりたくて空気を読みつつ生きてきたら鬱病になりました。夫も鬱病で退職し私一人の時間が激減。私のSOSは夫には届かず息が詰まる生活を強いられている54歳の秋、何かに導かれるようにHSPを知りました。長い間自分の頭がおかしいと思っていたので少し救われたような気がしましたが、それを知ったところで状況は何も変わりません。どういうことが辛くて苦しいのかを記録することで吐き出し、どうしたら楽になるのかを考えていきたいと思います。

彼氏は暴走族

中学生になると、私の好きな洋楽を聴く同級生が増えてきました。
放課後に練習したり文化祭で演奏する先輩のバンドもありました、男子でしたけど。
その練習を見に行って先輩と話しをすることもありましたが、ファンのひとりという扱いで音楽の話しをすることはありませんでした。
そりゃそうですよね、 私の方から曲や楽器の話題をふらないと「興味があるんだね」と気づいてもらえませんから。
「バンドやりたいんです!」って積極的に話せてたら違う道を歩いてたのかもね………
うわ!こんなこと初めて思いました。
今まで先輩のバンドを思い出したことはありましたけど。
文章にするって、やっぱりすごいわ。
でも、ここで違う道に行ったとしても、その先で交わって結果的には同じ道を行くのかもね………とも思ってしまう悲しい思考www

中学生の話題と言えば「〇〇くんと〇〇ちゃんがおつき合いしてる」ってのも多かったです。
「あの2人デキてる」という言い方をしていました、子供のくせにイヤラシイ感じしますねw
今思えばどうでもいいことなんですけど、その頃はどうでもいいとは思えないお年頃でした。
ある日突然、野呂佳代さん似の同級生に校舎の階段下に呼び出されたことがありました。
真剣な表情で「Sくんのこと好きにならないで!」と言われました。
イケメンで歌の上手なSくんのことです。
私はそんなことを言われてビックリしたのと、私がSくんを好きにならなかったら佳代さん(仮名)にどんなメリットがあるのかが瞬時に理解できずフリーズしました。
なんと答えたのか憶えていませんが「うん、わかったよ」とは言わなかったと思います。
のちのち、Sくんは頭が良くて背が高くてスポーツもできる爽やかお姉さん系の同級生とおつき合いをしているという噂を聞きました。
そもそもSくんの眼中にない私たち2人のやりとりは何だったのでしょうかw
佳代さん大好きだったんですね、Sくんのこと。

私は部活を理由に、できる限り帰宅を遅らせていましたが、実際は部活のあとに下校途中にあるショッピングモールに寄っていました。
中に小さな駄菓子屋さんがあったので、お菓子を食べながらずっとお喋りをしていました。
中学2年生のいつ頃からか、そこにバイクに乗ったツッパリ兄ちゃんが来るようになりました。
高校には行かず働いていると言うHさんです。
2歳しか違わなかったのに当時はとても大人に見えました。徐々に話しをするようになり、私たちはおつき合いすることになりました。
私なんかに興味を持ってくれて、話しかけてくれたのが嬉しかったのです。
もちろん親には内緒で家に遊びに行ったりバイクの後ろに乗せてもらったりして遊びました。
Hさんのお母さんはおとなしそうなおばさんで、いつ行っても挨拶程度の話ししかしませんでした。
お父さんの方もたまに見かけましたが話しかけてくることはありませんでした。
400ccのバイクは親に買ってもらったと言っていました。

Hさんは昼間は真面目に仕事をしていたようです。
夜はバイクで走ります。
夕方にはショッピングモール辺りにたむろして中学生にちょっかいを出したりしていました。
そのHさんのグループに川栄李奈さん似の女の子がいました。
名前も歳も知りません。
私服だったか制服を着ていたのかも憶えていません。
グループには李奈さん(仮名)と私しか女子はいなかったのに、私はまるで彼女のことを知らないんです。
「いつもいるなぁ」くらいの認識でした。
ある時その李奈さんと2人きりになるタイミングがありました。
李奈さんは私の方を真っ直ぐ見て「アンタはアンパンやっちゃダメだよ!」と言ってきました。
普段話したこともない李奈さんの強い口調に驚きましたが「わかった、やらない」と返事をしました。
あとになって気づきましたがHさんはいつもコーラの缶を持っていました。
勧められたことは一度もありませんでしたが、あの時、李奈さんが言ってくれたことには感謝しています。