HSPの人生に安らぎを

子供の頃から、どうにかちゃんとした人になりたくて空気を読みつつ生きてきたら鬱病になりました。夫も鬱病で退職し私一人の時間が激減。私のSOSは夫には届かず息が詰まる生活を強いられている54歳の秋、何かに導かれるようにHSPを知りました。長い間自分の頭がおかしいと思っていたので少し救われたような気がしましたが、それを知ったところで状況は何も変わりません。どういうことが辛くて苦しいのかを記録することで吐き出し、どうしたら楽になるのかを考えていきたいと思います。

恋って難しいね

オリエンテーションが終わり学校での生活が始まりました。
かなり早い段階で部活の勧誘のための発表会のようなものがあり、そこで吹奏楽部が数曲披露してくれ女性の先輩がトランペットを吹いているのを見て釘付けになりました。
もちろんすぐさま入部しました。
トランペットをやりたいという希望も通りました。

夏休みに県の吹奏楽コンクールがあるということで、3ヶ月程で課題曲と自由曲の2曲をマスターしなければならなかったのですが不安はありませんでした。
全くの初心者でしたが楽しくて楽しくて、放課後の練習はもちろんのこと、朝も学校がお休みの日も音楽室に行ってずっとずっとトランペットを吹いていました。
夏休み前には高校野球予選の応援にも駆り出されるので、応援曲を数曲とヒットファンファーレのタイミング練習や応援団との合同練習もあり、私にとっては嬉しい悲鳴。
それと思わぬ副産物として、全校集会の時には校歌の伴奏のために、体育祭の時は入場行進曲の演奏のために椅子が用意されるので、退屈な時間を椅子に座って過ごすことができました。

今でも同窓会に行くと「花実はいつもトランペット持って歩いてたよねー」と言われるくらい打ち込んでいましたが、部活がない日はやっぱりHさんに会いたいと思い、親には「今日も部活があるから」と嘘をついて制服を着て出かけました。
早朝から夕方までHさんに会えそうな場所をうろついても会えない日のほうが多く、寂しい思いをしていました。
やっと会えた時には「クラスにカワイイ子がいるんだよね」と気になることを言われたので、さり気なくその子の出身中学を聞き出して調査開始w
その中学校出身のクラスメイトがひとりいたので「定時制高校に行った子いる?」と聞くと、いましたいましたwww
後日Hさん宅の近くに行った時には、人待ちをしている様子の女の子を見かけました。
その子はHさんと同じ高校の制服を着ていて、クラスメイトに聞いた特徴と合っていたので「あ、この子がそうか………」とピンときました。
「ここにいるってことはHさんとうまくいってるんだ」
悲しかったけど、わざわざ本人たちに話すことなどないので、 そのままフェードアウトしました。
その後Hさんとは私が社会人になってから隣駅の切符売り場でたまたま会った記憶があります。
挨拶程度の会話をしたような………多分。

そんな失恋で揺れている時期に男子が自宅を訪ねて来たことがありました。
新入生オリエンテーションの時から話しかけてきていたKくんでした。
本当に珍しく私が家にいた時に玄関チャイムが鳴ったのでドアを開けると、Kくんが満面の笑顔で立っていました。
とにかく真っ先に頭に浮かんだのは「ママに怒られる!」でした。
その時は母が家にいたので、男子が訪ねて来たなんて知られたら輪をかけて不機嫌になるのは目に見えていました。
「困る!困る!帰って!」とドアを閉めて追い返しました。
まーったく何しに来たんだよ!
私が出かけてたら、どうなってたんだ?
っつーか、これママが出てたらどうなってたんだよぉ!
家にまで来るなんてバカなの?
………と自分のことばかり考えていました。

Kくんの顔は思い出せませんが、彼が家に来たことはたまに思い出します。
当時の私の自宅は駅と駅の中間で、どちらの駅に行くにも一苦労な距離の小高い山?丘かな?の上にある住宅街でした。
Kくんがどこの中学校出身かも知らないので想像するしかないのですが、あの時、自転車で来たのかバスで来たのか………わざわざ来てくれたのに強い口調で追い返しちゃったなぁ。
せめて次に学校に行った時にでも「この間は追い返しちゃってゴメンね」と言える私だったら「ちょいモテ女子」くらいにはなれたかもしれないですねw
当時はただただ迷惑だったので、そんなこと思いもしませんでしたが。

その後、噂でKくんが自主退学したと聞きました。
確か1学期中のことで、私たちの学年で初の退学だったと思います。
私が謝ってたら、友だちになれてたら、Kくんは退学しなかったのかな?
私が謝ってても、友だちになってても、Kくんは退学したのかな?
もう確かめようがありません。

先が思いやられる高校生活の始まり~♪

高校生になりました。
私が入学した高校は隣市でしたので、電車通学をすることになりました。
男女共学の学校でしたが、学科によって男女クラス・女子クラス・男子クラスに分かれており、私は女子クラスでした。
女子のみ総勢48名、あれ?49名だったかな?
某アイドルグループみたいですねwww

このクラスで私と同じ中学校だった子は私を含めて4人だったと思います。
下間花梨さん似のよく笑うおとなしい子と、藤田朋子さん似のものすごくおとなしい子と、LiLiCoさん似の元気いっぱいキラキラ女子。
4人とも中学生の頃に交流はありませんでした。
担任は赤井英和さん似の簿記の先生で、バドミントン部の顧問でした。


入学式が終わってすぐに、どこかに泊まり込みでガイダンスを受ける新入生オリエンテーションがありました。
どこに行ったか、何泊したか忘れましたーw
出席番号順でグループ分けされた私のグループに、瀬戸カトリーヌさん似の明るく物怖じしない子がいました。
男子にも先生にも積極的に話しかけ、私にも明るく話しかけてくれてオリエンテーションの期間は一緒にいた時間が多かったと思います。
カトリーヌはグイグイくるタイプの子なので私は引っ張り回されましたが、何しろ明るいので彼女の周りは笑顔でいっぱいでした。

ある晩の消灯後、カトリーヌは「花実ちゃん!男子の部屋に行くよ!」と私を連れ出しました。
普段なら「行ってどうするんだ?」などと考えてから行動するのですが、そんな間もなく「早く!早く!」とカトリーヌの勢いに呑まれて一緒に薄暗い廊下に出ました。
男子の部屋は違うフロアでしたがカトリーヌは迷わず進み、先生にも見つからず男子の部屋に到着しました。
私がその部屋にいたのは10分足らずだったと思います。
お目当ての男子がいたのか、カトリーヌは布団の中に潜って行くし、誰かの「先生が来た!」という声で押し入れに隠れたものの「私なにやってんだ?」と、ようやく気づいたのです。
「カトリーヌ!私もう戻るよ!」と盛り上がった布団に声をかけ、ひとりで自分の部屋に戻りました。

カトリーヌが数ある部屋の中からあの部屋に迷わず入って行ったのは、最初からそのつもりでお目当ての男子とも示し合わせていたからでしょう。
もし先生に見つかっていたら、巻き込まれて大目玉を食らうところでした。
しばらくしてからカトリーヌが戻ってきました。
「花実ちゃん先に帰ってたのー?」と笑うカトリーヌの髪はボサボサ。
私は「カトリーヌ、ジャージが裏返しだよ………」と教えてあげましたw
この一件があったことで、オリエンテーション後はカトリーヌから距離を置きました。
カトリーヌはLiLiCoと気が合い、他のキラキラ女子数人とでクラスの中心となるグループができました。

高校生になり、Hさんとはなかなか会えなくなりました。
入学式の少し前にHさんから「春から定時制高校に通うことにした」と聞きました。
こういうことって、彼女に「俺、定時制高校に行こうと思うんだけどどう思う?」などと先に話しがあるものかと思いましたが、Hさんがとても嬉しそうだったので、そこはどうでもよくなりました。
学校は別々でしたが、Hさんと私は同級生になりました。

ここで少し言い訳を………m(_ _)m

この殴り書きのブログ、アクセス数が1桁であっても他人が読める設定にしていますので、今更ですが言い訳をちゃんと書いて正当化しておこうと思います。

このブログは「私の心のデトックス」ということで書いています。
なので、当たり前ですが主観的な文章になります。
ブログなんて大方そんなもんですが、念のため。

何故そんなことをわざわざ書くのかというと、私のブログに出てくる人や団体は当然みんな実在するからです。
その相手と私との関係性の深さによって「完全主観のみ」の場合と「相手の背景の状況を理解した上での主観」に分かれます。

しかし、その「相手の背景の状況」は私の心のデトックスに関連するものでなければ、詳しい説明を控えることにします。
初めに書いたように相手の人がこのブログを読むことはないでしょうが、万が一読んでしまうという奇跡があるとしたら「あれ?これ私(俺)のことじゃね?」と思うでしょうし、その人の言い分もあるでしょう。
それを考えると申し訳なくなって、私はこの心のデトックスブログを書けなくなってしまうのです。

こんな思考だから人間関係がうまくいかないんだろw!
ということもわかっていただけるかと………。
ノω・、) ウゥ・・・ツライッス

中学生時代の考察

キラキラ系の子たちに憧れや劣等感は残っていましたが、この頃になると「私とは住む世界が違うんだ」という考えになっていました。
何故かというと、私がキラキラしている子の所に行って話しをすると最初の2~3日は私もキラキラ系になったような気がしますが、だんだんとキラキラが無くなっていくからです。
もちろんこれは私だけの感覚で、強いて言うなら普段私たちがいるカラフルな世界からモノクロの世界になっていく感じです。
白黒じゃなくてモノクロですよ。
私が入ると、ステキに見えていた場がくすんだモノクロに変わってしまうんです。
これは今まで誰にも言ったことはありません。
言ってもわかってもらえない気がするし、変なことを言う人だと思われたくないから。

Hさんに会っている時は気にならなかったのでモノクロではなかったと思います。
そういえば、いつものようにHさんが私の家の前でエンジンをふかして走り去った数分後、救急車のサイレンの音が聞こえてきたことがありました。
「まさか………」とイヤな感じがしました。
バイクで転倒した………と私が聞いたのは翌日だったか、電話でHさんのお母さんから聞いたのか、Hさんのお兄さんから聞いたのか、すっかり忘れてしまいましたが「やっぱりあの時だったんだ」と思ったことは憶えています。
事故後に初めて会った時「大丈夫?」と一言しか声をかけられませんでした。
「心配したんだよ(泣」とか「足の骨折くらいで良かった(涙」とか感情を出したり気の利いた言葉は言えませんでした。
そんな言葉を口に出して言える可愛らしい女の子になりたかったです。
この頃には既に、人に会うとまず「敵か味方か」と、ひねくれた見方をするようになっていましたから。

小学校からの友達AちゃんBちゃん達と遊ぶ頻度が減り、親には嘘をつくようになっていました。
私の嘘は宝塚月子さんみたいな嘘ではなくて、部活がたいへんで帰りが遅くなったとか、学校の文化祭やらのイベントの準備で帰りが遅くなったとか、部活とかが忙しいからピアノのレッスンに行けなかったとか、友達宅に遊びに行くと言ってHさんに会いに行ったり………とにかく家にいたくなかったので嘘ばかりついていました。

そんな嘘つきのひねくれ者でしたが高校に進学したいとは思っていました、みんなが進学するから。
母は中卒なので「高校にはぜったいに行きなさい、何故なら就職に有利だから」とずっと言われていましたし、クラスメイトもみんな進学する方向に行っていました。
本心は「勉強嫌いなのにまた3年間学校に行くのかぁ。それに高校って成績が悪かったら進級できないんでしょ?自信ないなぁ」でした。
問題は他にもありました。
母がいつも「金がない」と言っていたので私立高校には行けないということ。
だからと言って地域でいちばんレベルが低い県立高校には行きたくないこと。
「なんだ~やっぱり受験勉強するしかないじゃん」と悩んでいたところに母が「隣町の商業高校にしたら?」と言ってきました。
「資格が取れて就職に有利だ」と。
特に理数系が嫌いな私が商業高校を受験するなんて無謀だし、もし合格したとしても卒業できないかもしれない。
当時聞かされたのは偏差値47or48or49、志望倍率2.0前後だったと思います。

ちょっと話しが逸れますが、実はこういった数字を覚えるのが苦手なんです。
例えば「17:48発」の電車に毎日乗っていても「17:40分台」としか覚えられず、毎日時刻表を確認します。
誕生日や記念日は、その人や事柄と結び付けられるからなのか覚えられますが、今月の予定などになると「20何日くらい」としか覚えられません。
足し算引き算の暗算も無理です。
「100から7を順に引いてください」と言われると93から先は時間をかけないと計算できません。
娘も私と同じなので、これがLDってヤツかなぁ?と思っています。

話し戻ります!
三者面談では「この高校は今の成績なら合格ライン。でもみんなが勉強して受験するから安心してはダメだよ」と言われ、もうやるしかなくなりました。
「仕方ない、勉強するしか道はない」とは思ったものの全く身が入りませんでした。
勉強しようと思って、夜食にインスタントラーメンを食べて満腹になり「やっぱり寝よう」となる始末です。
ただただ過ぎて行く時間に追い込まれて焦る中、滑り止めに私立高校を受験させてもらうことになり合格しました。
それで安心できたからか、大して努力してないのに希望校にも合格。
もちろん喜びました「私ってすごく運が良いわ!」と。

こちら中学3年間の通知表です。
1年生
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2年生
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3年生
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また「まじめ」って書いてくれてるw
私って真面目なんだわ。
他人事みたいな言い方だけどwww
内申点が悪いから、先生が所見を良く書いてくれて何とか合格できたのかもしれませんね。
憧れのキラキラな所に私が入ると場の輝きが失せるのは、大人になった今でもたまに感じることがあります。
何故なのかはわかりません。
1年生の頃には、まだ周りからはみ出すことを恐れていましたが、Hさんと出会ったことによって特別視されることを覚えました。
Hさんに気に入ってもらいたくてオシャレしました。
でも自分自身は相変わらず何もない空っぽなので、自信を持って行動したり意見を述べたりできず、更には素直に感情を出すこともできない可愛げのない女の子に育ってますw
中身空っぽのJK誕生です。

嘘つきに仕返し

友達のAちゃん、Bちゃん、Cちゃん以外に、一時期だけ仲良くしてくれた友達がいました。
一人は小学校の時に何回か家に遊びに行かせてもらったり、中学生になってからは交換日記もやっていたDちゃん。
背が高くて大人しい子でした。

もう一人は宝塚音楽学校の男役志望の受験生みたいにシュッとしていて、頭が良くて運動もできてハキハキ話すボーイッシュな子でした。
さすがにリーゼントではないですよw
ショートヘアで前髪を7:3分けにして耳にかけるスタイルだったと思います。
そんなキラキラ系の宝塚月子さん(仮名)が、どうして私なんかと話すようになったのかきっかけは全く憶えていません。
宝塚さんの場合は、一緒に登下校したり家に遊びに行ったりということはなく、学校で話しをするだけでした。
でも私の趣味の領域に入り込んできたということは、私は彼女に心を許していたんだろうと思います。

当時BayCityRollersが大好きだった私は、LPレコードのライナーノーツもしっかり読み込んでいました。
歌の和訳も載っていたので、可愛いノートを買ってその訳詞を書き写し、横にその歌に合った絵を描くのが好きでした。
絵心はないので、少女マンガの絵を見ながら頑張って描きました。
見ながら描いても1本の線すら同じように素敵に描けず、何度も何度も描いては消し消しては描きを繰り返し、最後に色鉛筆で色を入れて1曲のページを完成させていました。

それを見せたんでしょうね、宝塚さんに。
どんな流れだったのかは忘れましたが、彼女にそのノートを貸してほしいと言われ「こんな物どうするんだろう?」と思いながらも貸したことは憶えています。
私にとっては大切なノートですが、他人がこのノートを手にして何をするのかわかりませんでしたし、今考えてもわかりません。
しかしそのノート、1週間経っても1ヶ月経っても返ってきません。
「ノート返して」と言い続けたのですが「あ、今度持って来るね」と言われ、どんどん先延ばしにされました。
その後、少し間を空けてから「ノート返して」と言うと、宝塚さんは「家に泥棒が入ってさぁ、ノート持って行ったんだよね」と言い出しました。
「は?泥棒?」突拍子もないワードが出てきたので私フリーズです。
宝塚家に泥棒が入って私のノートを持って行った?
‹‹\(´ω` )/››‹‹\(  ´)/››‹‹\( ´ω`)/›› グルグルグルグル………理解不能
何故か「怒る」という感情は起きませんでした。

次っ!
次は「パフ」です!
音楽の教科書に載ってたのかなぁ?テレビ番組かしら?
♪パフ 魔法の竜が暮らしてた~低く秋の霧、たなび~く~入り江~♪って歌。
父が英語学習の教本セットを持っていて、そのセットの中に英語の歌のレコードがありました。
レコードを聴くのは好きだったのでかけてみると、
♪Puff, the magic dragon lived by the sea
And frolicked in the autumn mist in a land called Honah Lee♪
「わ~♪これパフじゃん!」と嬉しくなりました。

それを言ったんでしょうね、宝塚さんに。
彼女にそのレコードを貸すことになりました、父には断りを入れずに。
もうこれ、わかりますよね?w
しばらくして父に「英語のレコードどこにやったんや?」と聞かれ「友達に貸した」と言うと、それっきり追求されなかったのが救いでした。
もちろん言いましたよ「宝塚さんレコード返して」
すると彼女「泥棒が入ってさぁ………」
えっ!またぁ?
おバカな私でも、さすがにわかりました。
怒りの感情は湧いてきましたが、友達に怒ったことがなかったので怒りのぶつけかたがわからず、フリーズするしかありませんでした。

ある晩、我が家に宝塚さんのお母さんから突然電話がかかってきました。
面識がないので何事かと思いながら出ると、「花実ちゃん?月子が花実ちゃんからベルトをもらったって言ってるんだけど、本当?」
わわー!
これ「あげました!」って言うヤツやん!と、すぐわかりました。
私は、わかっていた上で「知りません」と答えました。
「知りません、あげてません」事実を伝えました。
すごくモヤモヤしましたが「お母さんに怒られればいいよっ!」と思いました。

その後の宝塚さんのことは何も憶えてません。
もしかしたら、お互い避け合ったのかもしれません。
私が貸したノートとレコードは宝塚さんのお母さんに捨てられたのかな?
( ; ᯅ ; `)

反抗期

Hさんは穏やかな人でした。
いつ会ってもニコニコ笑っていてイライラしているところを見たことがありませんでした。
ただ一度だけ突然「Cちゃんとチューしたい」と言い出し困ったことがありました。
友達のCちゃんは私より背が低くて明るい可愛い子でした。
私は「やめて!そんなこと言わないでよ!」と言えず………。
何故か言えないんですよね、こういう自分の感情を。
「私ぜんぜん気にしてませんよ」みたいな態度をとってしまうんです。
この時も「HさんがCちゃんとチューしたいんだって。してあげたら?」くらいのことをCちゃんに言い、泣かしてしまいました。
私、本物のバカでした。

当時、休日に会う時は私が彼宅に電話をするか家に行くしかなかったのでなかなか会えず、彼宅のアパートの下で帰ってくるのをずっと待っていることもありました。
「花実ちゃんの家の前を通る時はエンジンをブンブン吹かして合図するね」と言ってくれたので、遠くからバイクの音が近づいてくると耳を澄まし、ブォンブォンと大きな音が聞こえると「Hさんだ♪」と密かに喜んでいました。

両親には一切そんな話しはしませんでしたが、ある日の夕方Hさんと少しだけ会うことになりました。
電話がかかってきたのか、通りかかった時に私がたまたま玄関先にいたのか忘れましたが、家では母が夕飯の準備をしていて父もいました。
私は両親に「ちょっと出てくる」と言ってHさんに会いに行きました。
近くの公園で1時間程お喋りして帰宅すると、酔っ払った父が「俺ァ花実のこと信じとるからな。おっかしゃんも、な?な?」と私と母に言ってきました。
父は私たちに母のことを話す時、母を「おっかしゃん」と言っていました。
単純にそれがムカつくのと酔っ払ってるのもムカついて素直に受け入れる気持ちにはなりませんでした。
父は相変わらず夜な夜な呑み歩いていて、いつも酔っ払っていましたから。
例えば玄関の上がり框に置いてあったお米の袋を蹴破って玄関をお米だらけにしたり、便座を上げずに用を足して便座カバーも床もビチョビチョなんて日常茶飯事でした。
大きな声を出すし、母が怒ると怒鳴って暴力を振るう。
母はいつも不機嫌で父の悪口ばかり言っていたので私は両親が大嫌いでした。

そんな父でしたが私のことは心配だったようで、放課後の溜まり場だったショッピングモールに迎えに来ては説教、お祭りの時にHさんと一緒にいたのを見ては説教されました。
私からすると「いつも酔っ払って暴れてるヤツが自分のことは棚に上げて私に説教なんかして偉そうに!どんだけ高い棚なんだよ!」と思っていました。
小学生の頃は「私が悪いから怒られるんだ」と思っていたのに、この頃からは両親の普段の振る舞いを冷静に見ることができるようになってきたので「お前なんかに言われたくない」というふうに変わっていたのです。

学校でも変化がありました。
ツッパリたちが「花実とHさんがデキてる」と知り、スカートめくりや胸を触ってこなくなったのです。
嬉しい変化でした。
自分に自信がなくて中身が空っぽの私が、Hさんとつきあうことによって一目置かれたわけです。
バカな私は、この先も「他人に依存する安定」という矛盾に気づかずに生きていくことになります。

彼氏は暴走族

中学生になると、私の好きな洋楽を聴く同級生が増えてきました。
放課後に練習したり文化祭で演奏する先輩のバンドもありました、男子でしたけど。
その練習を見に行って先輩と話しをすることもありましたが、ファンのひとりという扱いで音楽の話しをすることはありませんでした。
そりゃそうですよね、 私の方から曲や楽器の話題をふらないと「興味があるんだね」と気づいてもらえませんから。
「バンドやりたいんです!」って積極的に話せてたら違う道を歩いてたのかもね………
うわ!こんなこと初めて思いました。
今まで先輩のバンドを思い出したことはありましたけど。
文章にするって、やっぱりすごいわ。
でも、ここで違う道に行ったとしても、その先で交わって結果的には同じ道を行くのかもね………とも思ってしまう悲しい思考www

中学生の話題と言えば「〇〇くんと〇〇ちゃんがおつき合いしてる」ってのも多かったです。
「あの2人デキてる」という言い方をしていました、子供のくせにイヤラシイ感じしますねw
今思えばどうでもいいことなんですけど、その頃はどうでもいいとは思えないお年頃でした。
ある日突然、野呂佳代さん似の同級生に校舎の階段下に呼び出されたことがありました。
真剣な表情で「Sくんのこと好きにならないで!」と言われました。
イケメンで歌の上手なSくんのことです。
私はそんなことを言われてビックリしたのと、私がSくんを好きにならなかったら佳代さん(仮名)にどんなメリットがあるのかが瞬時に理解できずフリーズしました。
なんと答えたのか憶えていませんが「うん、わかったよ」とは言わなかったと思います。
のちのち、Sくんは頭が良くて背が高くてスポーツもできる爽やかお姉さん系の同級生とおつき合いをしているという噂を聞きました。
そもそもSくんの眼中にない私たち2人のやりとりは何だったのでしょうかw
佳代さん大好きだったんですね、Sくんのこと。

私は部活を理由に、できる限り帰宅を遅らせていましたが、実際は部活のあとに下校途中にあるショッピングモールに寄っていました。
中に小さな駄菓子屋さんがあったので、お菓子を食べながらずっとお喋りをしていました。
中学2年生のいつ頃からか、そこにバイクに乗ったツッパリ兄ちゃんが来るようになりました。
高校には行かず働いていると言うHさんです。
2歳しか違わなかったのに当時はとても大人に見えました。徐々に話しをするようになり、私たちはおつき合いすることになりました。
私なんかに興味を持ってくれて、話しかけてくれたのが嬉しかったのです。
もちろん親には内緒で家に遊びに行ったりバイクの後ろに乗せてもらったりして遊びました。
Hさんのお母さんはおとなしそうなおばさんで、いつ行っても挨拶程度の話ししかしませんでした。
お父さんの方もたまに見かけましたが話しかけてくることはありませんでした。
400ccのバイクは親に買ってもらったと言っていました。

Hさんは昼間は真面目に仕事をしていたようです。
夜はバイクで走ります。
夕方にはショッピングモール辺りにたむろして中学生にちょっかいを出したりしていました。
そのHさんのグループに川栄李奈さん似の女の子がいました。
名前も歳も知りません。
私服だったか制服を着ていたのかも憶えていません。
グループには李奈さん(仮名)と私しか女子はいなかったのに、私はまるで彼女のことを知らないんです。
「いつもいるなぁ」くらいの認識でした。
ある時その李奈さんと2人きりになるタイミングがありました。
李奈さんは私の方を真っ直ぐ見て「アンタはアンパンやっちゃダメだよ!」と言ってきました。
普段話したこともない李奈さんの強い口調に驚きましたが「わかった、やらない」と返事をしました。
あとになって気づきましたがHさんはいつもコーラの缶を持っていました。
勧められたことは一度もありませんでしたが、あの時、李奈さんが言ってくれたことには感謝しています。