HSPの人生に安らぎを

子供の頃から、どうにかちゃんとした人になりたくて空気を読みつつ生きてきたら鬱病になりました。夫も鬱病で退職し私一人の時間が激減。私のSOSは夫には届かず息が詰まる生活を強いられている54歳の秋、何かに導かれるようにHSPを知りました。長い間自分の頭がおかしいと思っていたので少し救われたような気がしましたが、それを知ったところで状況は何も変わりません。どういうことが辛くて苦しいのかを記録することで吐き出し、どうしたら楽になるのかを考えていきたいと思います。

嘘つきに仕返し

友達のAちゃん、Bちゃん、Cちゃん以外に、一時期だけ仲良くしてくれた友達がいました。
一人は小学校の時に何回か家に遊びに行かせてもらったり、中学生になってからは交換日記もやっていたDちゃん。
背が高くて大人しい子でした。

もう一人は宝塚音楽学校の男役志望の受験生みたいにシュッとしていて、頭が良くて運動もできてハキハキ話すボーイッシュな子でした。
さすがにリーゼントではないですよw
ショートヘアで前髪を7:3分けにして耳にかけるスタイルだったと思います。
そんなキラキラ系の宝塚月子さん(仮名)が、どうして私なんかと話すようになったのかきっかけは全く憶えていません。
宝塚さんの場合は、一緒に登下校したり家に遊びに行ったりということはなく、学校で話しをするだけでした。
でも私の趣味の領域に入り込んできたということは、私は彼女に心を許していたんだろうと思います。

当時BayCityRollersが大好きだった私は、LPレコードのライナーノーツもしっかり読み込んでいました。
歌の和訳も載っていたので、可愛いノートを買ってその訳詞を書き写し、横にその歌に合った絵を描くのが好きでした。
絵心はないので、少女マンガの絵を見ながら頑張って描きました。
見ながら描いても1本の線すら同じように素敵に描けず、何度も何度も描いては消し消しては描きを繰り返し、最後に色鉛筆で色を入れて1曲のページを完成させていました。

それを見せたんでしょうね、宝塚さんに。
どんな流れだったのかは忘れましたが、彼女にそのノートを貸してほしいと言われ「こんな物どうするんだろう?」と思いながらも貸したことは憶えています。
私にとっては大切なノートですが、他人がこのノートを手にして何をするのかわかりませんでしたし、今考えてもわかりません。
しかしそのノート、1週間経っても1ヶ月経っても返ってきません。
「ノート返して」と言い続けたのですが「あ、今度持って来るね」と言われ、どんどん先延ばしにされました。
その後、少し間を空けてから「ノート返して」と言うと、宝塚さんは「家に泥棒が入ってさぁ、ノート持って行ったんだよね」と言い出しました。
「は?泥棒?」突拍子もないワードが出てきたので私フリーズです。
宝塚家に泥棒が入って私のノートを持って行った?
‹‹\(´ω` )/››‹‹\(  ´)/››‹‹\( ´ω`)/›› グルグルグルグル………理解不能
何故か「怒る」という感情は起きませんでした。

次っ!
次は「パフ」です!
音楽の教科書に載ってたのかなぁ?テレビ番組かしら?
♪パフ 魔法の竜が暮らしてた~低く秋の霧、たなび~く~入り江~♪って歌。
父が英語学習の教本セットを持っていて、そのセットの中に英語の歌のレコードがありました。
レコードを聴くのは好きだったのでかけてみると、
♪Puff, the magic dragon lived by the sea
And frolicked in the autumn mist in a land called Honah Lee♪
「わ~♪これパフじゃん!」と嬉しくなりました。

それを言ったんでしょうね、宝塚さんに。
彼女にそのレコードを貸すことになりました、父には断りを入れずに。
もうこれ、わかりますよね?w
しばらくして父に「英語のレコードどこにやったんや?」と聞かれ「友達に貸した」と言うと、それっきり追求されなかったのが救いでした。
もちろん言いましたよ「宝塚さんレコード返して」
すると彼女「泥棒が入ってさぁ………」
えっ!またぁ?
おバカな私でも、さすがにわかりました。
怒りの感情は湧いてきましたが、友達に怒ったことがなかったので怒りのぶつけかたがわからず、フリーズするしかありませんでした。

ある晩、我が家に宝塚さんのお母さんから突然電話がかかってきました。
面識がないので何事かと思いながら出ると、「花実ちゃん?月子が花実ちゃんからベルトをもらったって言ってるんだけど、本当?」
わわー!
これ「あげました!」って言うヤツやん!と、すぐわかりました。
私は、わかっていた上で「知りません」と答えました。
「知りません、あげてません」事実を伝えました。
すごくモヤモヤしましたが「お母さんに怒られればいいよっ!」と思いました。

その後の宝塚さんのことは何も憶えてません。
もしかしたら、お互い避け合ったのかもしれません。
私が貸したノートとレコードは宝塚さんのお母さんに捨てられたのかな?
( ; ᯅ ; `)