HSPの人生に安らぎを

子供の頃から、どうにかちゃんとした人になりたくて空気を読みつつ生きてきたら鬱病になりました。夫も鬱病で退職し私一人の時間が激減。私のSOSは夫には届かず息が詰まる生活を強いられている54歳の秋、何かに導かれるようにHSPを知りました。長い間自分の頭がおかしいと思っていたので少し救われたような気がしましたが、それを知ったところで状況は何も変わりません。どういうことが辛くて苦しいのかを記録することで吐き出し、どうしたら楽になるのかを考えていきたいと思います。

反抗期

Hさんは穏やかな人でした。
いつ会ってもニコニコ笑っていてイライラしているところを見たことがありませんでした。
ただ一度だけ突然「Cちゃんとチューしたい」と言い出し困ったことがありました。
友達のCちゃんは私より背が低くて明るい可愛い子でした。
私は「やめて!そんなこと言わないでよ!」と言えず………。
何故か言えないんですよね、こういう自分の感情を。
「私ぜんぜん気にしてませんよ」みたいな態度をとってしまうんです。
この時も「HさんがCちゃんとチューしたいんだって。してあげたら?」くらいのことをCちゃんに言い、泣かしてしまいました。
私、本物のバカでした。

当時、休日に会う時は私が彼宅に電話をするか家に行くしかなかったのでなかなか会えず、彼宅のアパートの下で帰ってくるのをずっと待っていることもありました。
「花実ちゃんの家の前を通る時はエンジンをブンブン吹かして合図するね」と言ってくれたので、遠くからバイクの音が近づいてくると耳を澄まし、ブォンブォンと大きな音が聞こえると「Hさんだ♪」と密かに喜んでいました。

両親には一切そんな話しはしませんでしたが、ある日の夕方Hさんと少しだけ会うことになりました。
電話がかかってきたのか、通りかかった時に私がたまたま玄関先にいたのか忘れましたが、家では母が夕飯の準備をしていて父もいました。
私は両親に「ちょっと出てくる」と言ってHさんに会いに行きました。
近くの公園で1時間程お喋りして帰宅すると、酔っ払った父が「俺ァ花実のこと信じとるからな。おっかしゃんも、な?な?」と私と母に言ってきました。
父は私たちに母のことを話す時、母を「おっかしゃん」と言っていました。
単純にそれがムカつくのと酔っ払ってるのもムカついて素直に受け入れる気持ちにはなりませんでした。
父は相変わらず夜な夜な呑み歩いていて、いつも酔っ払っていましたから。
例えば玄関の上がり框に置いてあったお米の袋を蹴破って玄関をお米だらけにしたり、便座を上げずに用を足して便座カバーも床もビチョビチョなんて日常茶飯事でした。
大きな声を出すし、母が怒ると怒鳴って暴力を振るう。
母はいつも不機嫌で父の悪口ばかり言っていたので私は両親が大嫌いでした。

そんな父でしたが私のことは心配だったようで、放課後の溜まり場だったショッピングモールに迎えに来ては説教、お祭りの時にHさんと一緒にいたのを見ては説教されました。
私からすると「いつも酔っ払って暴れてるヤツが自分のことは棚に上げて私に説教なんかして偉そうに!どんだけ高い棚なんだよ!」と思っていました。
小学生の頃は「私が悪いから怒られるんだ」と思っていたのに、この頃からは両親の普段の振る舞いを冷静に見ることができるようになってきたので「お前なんかに言われたくない」というふうに変わっていたのです。

学校でも変化がありました。
ツッパリたちが「花実とHさんがデキてる」と知り、スカートめくりや胸を触ってこなくなったのです。
嬉しい変化でした。
自分に自信がなくて中身が空っぽの私が、Hさんとつきあうことによって一目置かれたわけです。
バカな私は、この先も「他人に依存する安定」という矛盾に気づかずに生きていくことになります。