HSPの人生に安らぎを

子供の頃から、どうにかちゃんとした人になりたくて空気を読みつつ生きてきたら鬱病になりました。夫も鬱病で退職し私一人の時間が激減。私のSOSは夫には届かず息が詰まる生活を強いられている54歳の秋、何かに導かれるようにHSPを知りました。長い間自分の頭がおかしいと思っていたので少し救われたような気がしましたが、それを知ったところで状況は何も変わりません。どういうことが辛くて苦しいのかを記録することで吐き出し、どうしたら楽になるのかを考えていきたいと思います。

恋って難しいね

オリエンテーションが終わり学校での生活が始まりました。
かなり早い段階で部活の勧誘のための発表会のようなものがあり、そこで吹奏楽部が数曲披露してくれ女性の先輩がトランペットを吹いているのを見て釘付けになりました。
もちろんすぐさま入部しました。
トランペットをやりたいという希望も通りました。

夏休みに県の吹奏楽コンクールがあるということで、3ヶ月程で課題曲と自由曲の2曲をマスターしなければならなかったのですが不安はありませんでした。
全くの初心者でしたが楽しくて楽しくて、放課後の練習はもちろんのこと、朝も学校がお休みの日も音楽室に行ってずっとずっとトランペットを吹いていました。
夏休み前には高校野球予選の応援にも駆り出されるので、応援曲を数曲とヒットファンファーレのタイミング練習や応援団との合同練習もあり、私にとっては嬉しい悲鳴。
それと思わぬ副産物として、全校集会の時には校歌の伴奏のために、体育祭の時は入場行進曲の演奏のために椅子が用意されるので、退屈な時間を椅子に座って過ごすことができました。

今でも同窓会に行くと「花実はいつもトランペット持って歩いてたよねー」と言われるくらい打ち込んでいましたが、部活がない日はやっぱりHさんに会いたいと思い、親には「今日も部活があるから」と嘘をついて制服を着て出かけました。
早朝から夕方までHさんに会えそうな場所をうろついても会えない日のほうが多く、寂しい思いをしていました。
やっと会えた時には「クラスにカワイイ子がいるんだよね」と気になることを言われたので、さり気なくその子の出身中学を聞き出して調査開始w
その中学校出身のクラスメイトがひとりいたので「定時制高校に行った子いる?」と聞くと、いましたいましたwww
後日Hさん宅の近くに行った時には、人待ちをしている様子の女の子を見かけました。
その子はHさんと同じ高校の制服を着ていて、クラスメイトに聞いた特徴と合っていたので「あ、この子がそうか………」とピンときました。
「ここにいるってことはHさんとうまくいってるんだ」
悲しかったけど、わざわざ本人たちに話すことなどないので、 そのままフェードアウトしました。
その後Hさんとは私が社会人になってから隣駅の切符売り場でたまたま会った記憶があります。
挨拶程度の会話をしたような………多分。

そんな失恋で揺れている時期に男子が自宅を訪ねて来たことがありました。
新入生オリエンテーションの時から話しかけてきていたKくんでした。
本当に珍しく私が家にいた時に玄関チャイムが鳴ったのでドアを開けると、Kくんが満面の笑顔で立っていました。
とにかく真っ先に頭に浮かんだのは「ママに怒られる!」でした。
その時は母が家にいたので、男子が訪ねて来たなんて知られたら輪をかけて不機嫌になるのは目に見えていました。
「困る!困る!帰って!」とドアを閉めて追い返しました。
まーったく何しに来たんだよ!
私が出かけてたら、どうなってたんだ?
っつーか、これママが出てたらどうなってたんだよぉ!
家にまで来るなんてバカなの?
………と自分のことばかり考えていました。

Kくんの顔は思い出せませんが、彼が家に来たことはたまに思い出します。
当時の私の自宅は駅と駅の中間で、どちらの駅に行くにも一苦労な距離の小高い山?丘かな?の上にある住宅街でした。
Kくんがどこの中学校出身かも知らないので想像するしかないのですが、あの時、自転車で来たのかバスで来たのか………わざわざ来てくれたのに強い口調で追い返しちゃったなぁ。
せめて次に学校に行った時にでも「この間は追い返しちゃってゴメンね」と言える私だったら「ちょいモテ女子」くらいにはなれたかもしれないですねw
当時はただただ迷惑だったので、そんなこと思いもしませんでしたが。

その後、噂でKくんが自主退学したと聞きました。
確か1学期中のことで、私たちの学年で初の退学だったと思います。
私が謝ってたら、友だちになれてたら、Kくんは退学しなかったのかな?
私が謝ってても、友だちになってても、Kくんは退学したのかな?
もう確かめようがありません。