HSPの人生に安らぎを

子供の頃から、どうにかちゃんとした人になりたくて空気を読みつつ生きてきたら鬱病になりました。夫も鬱病で退職し私一人の時間が激減。私のSOSは夫には届かず息が詰まる生活を強いられている54歳の秋、何かに導かれるようにHSPを知りました。長い間自分の頭がおかしいと思っていたので少し救われたような気がしましたが、それを知ったところで状況は何も変わりません。どういうことが辛くて苦しいのかを記録することで吐き出し、どうしたら楽になるのかを考えていきたいと思います。

抹消したい青春時代の汚点

吹奏楽部には男子の先輩がいませんでした。
私たちの学年から男子部員が5人入部し、その下の後輩にも男子が数人いましたが圧倒的に女子が多い部でした。
私が入部した時のトランペットパートは3年生の先輩が2人と新入部員が3人。
初心者の私、初心者の男子Aくん、マイトランペットを持っている経験者の男子Hくんという3人です。
3年生の先輩2人が引退したらトランペットパートは私たち3人だけになりました。

記憶があやふやなのですが、私はHくんとおつき合いすることになりました。
確か私は他のパートのKくんのことを「いいなぁ」と思っていました。
でもそれはすぐにやめました。
他のパートのМちゃんがKくんを好きだと知ったからです。
特にショックを受けた記憶がないので「じゃあKくんはやめて私はHくんにするか」くらいの思いだったのでしょう。
МちゃんとKくんはおつき合いすることになりました。
2年生の夏、部のみんなで海水浴に行くことになった時、「海水浴の日、Hくんが花実に告白するよ」と聞きました、たぶんМちゃんから。
だから何日も前から告白されるとわかっていました。
変な話しですがサプライズも何もない始まりでした。

ラブラブなМちゃんとKくんに合わせて、私もHくんを好きになりました。
部活が忙しかったので放課後に遊ぶことはできませんでしたが、できる限り一緒に下校しました。
Hくんはクールスが好きで、ヘアスタイルをリーゼントにしていました。
クールスのアルバムを借りて聴きましたが私にはピンときませんでした。
その頃の私は部活の影響でクラシック音楽と、以前から好きだった洋楽を中心に聴いていたからです。

ある時ふたりで原宿に行くことになりました。
学校以外で会うことはなかったと思うので初デートだったかもしれません。
駅で待ち合わせをし、現れたHくんは全身真っ赤でした。
真っ赤なベロアのジャージのセットアップ………私は一緒に歩くのがイヤでしたが、イヤだとは言えず何でもないフリをしてその日を過ごしました。
それから、彼のほっぺたがいつもカサカサ粉を吹いているのもイヤでした。
こんなことで気持ちが冷めていく自分にイライラしました。
「好きという気持ちは見た目には関係ない」と思いたかったからでした。
それから3年生の先輩が引退し、Hくんは吹奏楽部の部長になりました。
部長の彼女という立場も悪くないし、МちゃんとKくんは相変わらず仲良し。
だから私も何事もないように振る舞い、暫くおつき合いは続きました。

しかしある日、決定的な事が起きてしまいました。
学校帰り、いつものようにHくんが私の家まで送ってくれている時のことです。
普段からそんなに人も車も通っていない道をふたりで歩いて家の近くまできた頃、近所のラーメン屋の店員が通りかかりました。
その若い男性店員は白い制服を着てバイクに乗っていましたし、たまに行っていたラーメン屋の店員なので顔は知っていました。
突然、店員はバイクを停め、私たちの方に来て「ガンつけてんじゃねえよ!」と言いHくんに暴力を振るってきました。
Hくんはやられっぱなしで反撃せず、私は驚きと恐怖で声も出ませんでした。
店員が去って行ったあとも、私はHくんに「大丈夫?」と声をかけることしかできませんでした。
こんな時、普通の女の子はどんな行動をとるのでしょうか。
私は「私と一緒にいる時にこんなことになって、Hくんは恥ずかしいんじゃないだろうか?」ということだけが心配でした。

実はそれからの記憶が………!
その後、学校で会った時のことなど全く憶えていません。
最悪なのは、その後のHくんとの記憶がお別れをした時のことなんです。
この辺りは私にとって無かったことにしたい思い出です。
思い出していると胸が苦しくなるし本当に記憶があやふや………ということは当時から忘れようとしたけど抹消することができず、所々しか憶えていない状態なのかもしれません。
どこでどんな風に再会したのか憶えていませんが、中学校の時の同級生で高校に行ってなかったNくんに告白されておつき合いすることにしたので、Hくんとはきちんとお別れしなければならないと思いました。
学校帰りだったでしょうか、私はHくんに「好きな人ができたから別れてください」と言いました。
何だか申し訳なくて、私からお別れを言っているのに私が泣いていました。

Nくんとのおつき合いは短い期間でしたし、青春時代の汚点としか言いようがないので抹消したい思い出のひとつです。
そもそもNくんは高校に進学しなかったのか退学したのか高校に行かずに何をしているのかなど、そのくらい話しをしたはずですが全く記憶がないのです。
学校が終わってから頻繁に会えると勝手に思っていましたがなかなか会えず、会っても忙しそうで一緒にいる時間も短かいものでした。
そんな中、Nくんに「1万円貸してほしい」と言われました。
理由を聞いた上での判断か聞かずでの判断かも憶えていませんが、一月のお小遣いが5千円だったのに、バカな私はNくんのために貸してあげたいと思いました。
当時、高校生でアルバイトをしている子は少なかったと記憶しています。
夏休みなどの長期休みの時にやっていた子はいましたが、私は部活中心の生活をしていたので親からのお小遣いしか手にしていませんでした。
そんな私の目から見て、部活仲間のKくんはいつもお金に余裕があるように映っていました。
浅はかな私はKくんにお金を借り、Nくんに渡したのです。
Kくんは理由を聞かずに貸してくれたのかなぁ?
それとも私は嘘の理由を言ったのかも………それも忘れました。
お金を渡したあともNくんにはなかなか会えませんでした。
ある時LiLiCoに「町でNが女と歩いてるのを見たよ、大丈夫なの?」と言われました。
そこでようやく気づいた私…………アホすぎる。
「高い授業料だと思って………」高校生の私がそんな言葉を知っていたのかどうかわかりませんが、私は「バカなことをしたからバチが当たったんだ」と思いました。
そして今これを書いていてうっすら思い出したのですが「もう会えません。お金は返してくれなくていいです。」という手紙を出したような………いや出したわ手紙w
きちんとけりをつけたい性格なんですね、アホやん恥ずかしい。

これ、何でも相談できる親友なんかいたら「お金を貸してなんて言う男はろくな奴じゃないよ!」って気づかせてくれたのかしら?と妄想したりします。
Kくんには毎月千円ずつ返しました。
Hくんには誕生日だったかバレンタインデーだったかに手作りケーキを渡しました、普段ケーキ作りなどしたことがなかったのに。
作った翌日に見るとスポンジが硬くなっていました。
もう作り直す時間も材料もなかったので、そのまま渡しましたが美味しくなかっただろうなぁ。
お詫びのつもりの手作りケーキ大失敗でした、恥の上塗りですよ。

あ~………今回は思い出したくない思い出を書いたので気持ちが沈んで書くペースも遅くなりました。
なんたって誰にも話したことがない、思い出したくもないことを吐き出すんですからね。
デトックスってメチャクチャ消耗するわ。
(´・ω・`;)ハァー・・・